日刊早坂ノボル新聞

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盛岡タイムス連載 「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 其の十一  慟哭の章 あらすじと解説

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「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 其の十一  慟哭(どうこく)の章

◇この章のあらすじ◇
 天正十九年三月十五日の朝、南部信直は、突如として鳥海古城を出発し、三戸に向け撤退を始めた。
 宮野城の七戸家国は、三戸南部の主力軍が十分に遠ざかってから、未の刻に進軍を開始し、一戸城を包囲した。工藤右馬之助は、配下の鉄砲隊に、北秀愛を狙撃させる。
 北信愛・東中務信義の連合軍が背後から近づき、七戸家国は全軍に撤退を命じた。
 北信愛が本丸に入ると、秀愛は、上がってすぐの板間に横たわっていた。信愛は直ちに、息子の負傷の具合を尋ねる。医者は、北秀愛がもはや再起不能であることを信愛に告げる。

 翌三月十六日の昼過ぎ。宮野城では、昨夜帰城した七戸家国を加え、軍議が開かれた。
 七戸家国は、北信愛が発注した鉄砲百五十挺が、上方を既に出発したことを報告する。政実は、鉄砲輸送隊を、志和と岩手の間で襲撃することを命じる。

 疾風は、岩泉から疾風の下に参じた東孫六、平八、権太夫と共に、岩手郡に向かう。
 疾風一行は、途中の沼宮内で一泊するが、そこで毘沙門党のお蓮と、かつて疾風が危機を救ったお芳に出会う。実は二人は姉妹であった。
 
 一行が渋民にある権太夫の家の近くに到達すると、権太夫の家は毘沙門党の襲撃により焼け落ちていた。権太夫の家族を葬った後、疾風一行は日戸館に向かった。
 日戸館では、疾風は主に対し、三戸方に加わるべきことを進言し、自らは配下を脱し、宮野に参じることを申し出た。内膳は、葛姫を娶ることと、玉山重光(常陸)を悩ます鬼を退治すること、の2つを条件に、疾風の離脱を認めた。
 疾風一行は、玉山小次郎の案内で、鬼の棲む山に登るが、そこにいたのは鬼ではなく、雛にも稀な美女であった。疾風はこの女人を「仙鬼」と名づけ、6人目の仲間として迎え入れる。

◇新たな登場人物◇

○恵比奈左近:陸奥沢田館主。沢田助三郎とも伝えられる。

○おせん(仙鬼):盛岡市玉山区では、十六世紀末に玉山館に嫁入りした「おれん」の伝説が今に残る。当地には、おれんの持ち上げた「おれんこ石」や、おれんを祀った「おれんこ堂」が現存している。本作では、紅蜘蛛の名である「お蓮」と名が重ならないよう、「お仙」と改名したものである。
→おれんの伝説については、このブログの『北奥今昔物語』に収録してあります。

◇解説◇
九戸戦に向かう人々の慙愧(ざんき)の念や慟哭を描いた章です。
北信愛は、どのような手を使ってでも、早くこの地を1本に取りまとめ、秀吉に認められることが必要だと考えています。しかし、自分が担いだ南部信直の愚行とも言うべき振る舞いにより、最愛の息子・秀愛が再起不能の状態に陥ってしまいます。

山ノ上権太夫は、相撲で得た賞金を懐に、郷里の渋民に戻ろうとします。しかし、権太夫の家族は、先回りした毘沙門党の紅蜘蛛と、大光寺の手勢の間の揉め事に巻き込まれ、皆焼け死んでしまいました。帰る家を無くした権太夫は、悄然としながらも疾風一行に追随するようになります。

他には、紅蜘蛛お蓮がなぜ毘沙門党に加わったか。なぜお蓮とお芳が一緒にいるのか。
お仙が、なぜ女を捨て「仙鬼」となるに至ったか、などのエピソードが書かれています。

この章の盛岡タイムス紙掲載は、5月中旬頃からになります。

疾風、三好平八、東孫六、山ノ上権太夫、天魔覚右衛門(知仁太)と、本章での仙鬼の登場で、六人の仲間ができました。次の「其の十二 七曜の章」では、新たな仲間が1人加わり、九戸政実を囲む「北斗の英雄」の七人が総て揃います。

なお添付画像は、天正19年3月時点の勢力図ですが、筆者なりの解釈が入っていますので、あくまでご参考程度に留めてください。小説は研究論文とは違います。