日刊早坂ノボル新聞

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盛岡タイムス連載 「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 其の十二  七曜の章 あらすじと解説

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「九戸戦始末記 北斗英雄伝」 其の十二  七曜の章

◇この章のあらすじ◇
天正十九年三月二十日。日戸内膳と玉山重光は、留ヶ崎城に出仕した。
 信直と北信愛は、南部家に縁の深い玉山大和の弟である重光に、いまだに官職を与えていないことに気付き、「常陸守」を下命する。重光は、自分の跡継ぎにするため、甥の小次郎を養子として迎えることを決意した。
 元木の山館では、疾風と葛姫の婚礼が開かれた。三好平八は、これを祝うため謡を舞った。
 権太夫は華やかな祝宴を脱し、館の裏手にいた仙鬼のところに行く。権太夫は宴席に顔を出せぬ仙鬼のために、米の握り飯を届けたのだった。二人は杉の大木の下で飯をほうばりながら、それぞれが天涯孤独であることを嘆き涙する。
 葛姫は初夜の床で、疾風に向かい「やや子を授けてください」と請う。深夜、葛姫は大狼のレタルを呼び、疾風が自らの夫であることを示した。
 三月二十二日。知仁太が偵察から戻った。知仁太と仙鬼は、試合を行い、互いの腕を確かめる。
 翌日、疾風たちは二組に分かれ出発するが、この動きを、毘沙門党の手下が見ていた。
疾風一行は土石流に流された橋を修復し、地元の者に供応を受ける。その中に毘沙門党が紛れ込み毒を盛る。毒により痺れ、動けなくなった疾風、平八、権太夫の三人の前には、紅蜘蛛が現れる。
三人は窮地に陥るが、工藤右馬之助が現れ、これを救った。

 三月二十五日の夕方、疾風一行は鳥谷ヶ崎の南で輸送隊を襲撃する。襲撃は成功し、疾風は百挺の鉄砲を手に入れる。この輸送隊には、1人の男が奴婢として繋がれていた。男は羽柴秀吉に両親を殺された火薬師の李相虎(イサンホ)である。李は右馬之助により解放されるが、疾風たちが南部信直や秀吉と戦おうとしているのを知り、仲間に加わる。
 この頃、糠部の一戸城には、浄法寺修理、東信義がいたが、修理の弟の左京亮、主繕の報告で、急ぎ留ヶ崎に帰城する。これは謀略で、一戸城は一戸実富の手中に落ち、九戸党はこの城を奪還した。
 南部信直と北信愛は、もはや秀吉の力なくしては、北奥を押さえられぬことを覚悟した。
 一方、羽柴秀吉は、「関白が手古摺っている陸奥一揆を鎮めて見せる」と申し出た者に激怒し、その者の首を刎ねた。

 宮野に帰還した疾風一行が、若狭館で寛いでいると、権太夫が幟旗を持って部屋に戻ってくる。
その旗には七曜の紋が描かれていた。平八はこの紋の中央に「五」の字を書き、皆が「五右衛門党」の仲間であることを宣言した。 

◇主な登場人物◇
○中野修理亮康実(直康・直実):高田吉兵衛。九戸政実の弟で、初め斯波に仕え、後に斯波を滅した。九戸戦では一貫して三戸方に属した。

○東中務信義:後の朝政。同じ中務なので、多く祖父の東政勝と混同されるが、信義(=朝政)は、九戸戦の頃はまだ青年である。南部晴政の娘を妻とし、信直の後ろ盾となったのは、祖父の政勝の方であり、その功績により東一族は信直に重用された。朝政は元服に当たり、諱として信直から一字を貰い、最初は信義を名乗った。

○吉田兵部:吉田兵部少輔。浄法寺吉田館主。
○福田掃部:福田掃部介。二戸御返地の福田館主。この地方には名だたる福田館が二つある。父親の福田治部の福田館は二戸北部、三戸との間にあるが、掃部のいた福田館は浄法寺に近かった。

◇解説◇
「北斗の英雄」の話なので、主役級の登場人物は七人です。本章の李相虎の登場により、厨川五右衛門(疾風)、三好平八、東孫六、山ノ上権太夫、知仁太、仙鬼と合わせ、七人が揃いました。もちろん、別格は、天枢星(北極星)たる九戸政実です。

 さて上方に比べみちのくが「中世的だった」という認識は、昔の歴史家の言葉を盲目的に追従したもので、単純にこれを受け入れるのは怠惰そのものです。総てに渡り実証が必要であることは言うまでもありません。
 蒲生氏郷、浅野長吉(政)の家臣団の遺した記録を拾っていくと、その様相は全く違っています。九戸党は当初鉄砲などいくらも持っていなかったはずですが、しかし宮野城には銃火器の備えが施されており、そのために攻め手に甚大な被害が出る結果を招いたようです。
  3日間の攻撃で、攻め手は1回の攻めごとに78百人の被害を出したといわれますが、攻撃はおよそ8回なので、5千人以上が死んだことになります。
 これは城内におり焼殺されたとされる人の数とほぼ合致し、このあたりの記述には、「員数合わせ」の印象があります。
 嘘をつき騙してでも開城させねばならず、また総てを焼き尽くし証拠を抹消する必要があったのは、「自軍の被害の方が大きかったのを隠すため」ではなかったか、ということが、この話の基幹部分になっています。

 本作では、九戸党が包囲軍に被害を与えた直接的要因として、宮野城には李相虎のような火薬師・鉄砲師の存在があったのだろうという仮説を立てました。