日刊早坂ノボル新聞

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本丸の話

 「本丸」や「二の丸」という言葉で知られる「丸」は、江戸時代になってから使われるようになった呼び方です。戦国時代にはこの言葉は使われていないわけですが、では何と呼ばれていたのでしょうか。
 本郭?
「郭」も江戸になってから出来た言葉ですね。周りを囲った閉ざされた地域を郭と言いますが、壁で囲まれた一角を指す「遊郭」という言葉があります。
「郭」は「かく・くるわ」と読む訳ですが、元の言葉は曲輪(くるわ)です。
 では城の中心となる曲輪のことは何と呼んだのでしょうか。
 
 資料を見て行くと、戦国当時でぴったり合うような用語を探し当てられないのですが(大半が江戸になってから書かれたもの)、曲輪全体を区分して呼ぶと言うより、その中の館の名称で呼んだ模様です。
「○○館」と言う時には、該当する建物は1つではなく、その一帯の館群を指しています。
 
「九戸戦始末記 北斗英雄伝」では、解釈や読み替えが不要になるように、本来は後代の言葉である「丸」という用語を使用しています。