日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

「社会正義」を騙った弱者差別─大阪市の刺青処罰─

たとえ話から始めます。
もし、外国で1人の日本人が犯罪行為を行ったとします。
この時、「日本人の1人が犯罪を働いたから、日本人をこの国に来られなくしよう」と言われたら、日本人でなくとも、「それはちょっと違うだろ」と思うはずです。
この場合、その日本人の場所に、別の言葉を入れても変わりありません(中国人でも東京都民でも同じ)。
犯罪を犯したのは、その当事者1人であって、けして「日本人」ではない。
 
大阪市長は、「自分の刺青を見せびらかして子どもを脅した職員がいる」などの例を持ち出して、「刺青をしている者」を洗い出し、「昇進させない」と宣言しました。
(あれは、どうみても「やめてくれ」の意味ですよね。)
しかし、冒頭の考え方と同じで、子どもを脅かしたのは、刺青ではなく、その職員個人ですよ。
刺青はあくまで手段であり、刺青自体が悪さを働いたわけではありません。
 
市長は、概ね「刺青=不良」もしくは、「不良ぶっている」人のことを前提としています。
テレビや映画では、体に刺青を施した暴力団が威勢を張るシーンが頻繁にでますので、一般市民の感覚も同じようなものでしょう。
ところが、実際に調べてみると、刺青を入れている人の多くは、左官やとび職など、体を使う仕事に従事する人です。もちろん、仕事と関わりがあるわけではなく、経済状態や学歴など、自分に何か引け目があり、「蔑まれたりするのではないか」と感じた人が、「他人からむやみに舐められないように」入れるケースが多いようです。
よって、自己防衛手段のひとつで、刺青=不良(簡単には暴力団)ではない。
 
次に、「かつては不良だったが、今は違う。しかし刺青が体に残っている」という人も相当数いるだろうと考えられます。
大阪市の調べでは、刺青を入れた職員は環境局に勤務する者でした。
内容の報告はありませんが、その大半は机に座る一般職の人ではなく、大半はゴミの回収等に従事する職員ではないでしょうか。(あくまで、過去の経験による推論です。)
なぜなら、前歴不問で年齢等に関わりなく、公務に就ける職種はそれしか無いからです。
 
少年院や刑務所に入った経験のある人(簡単には犯罪歴のある人)は、出所後の再犯率がかなり高いと言われます。その理由の1つは、「社会が受け入れてくれないから」。
人材を採用しようという時に、同じような候補者が並んでいれば、採用担当者は、犯罪歴の無い方を選びます。
よって、ひと度、塀の向こう側に落ちた人は、その後の人生を立て直すのが本当に難しくなります。
そういう方の社会復帰のルートのひとつが、廃棄物関係の仕事です。
要するに、ゴミの回収や清掃の仕事。
よって、環境局の職員に、刺青のある人が多くなるのは、自然の成り行きなのだろうと思います。
もしかすると、そういった人たちにとっては、再生や敗者復活の道が、その仕事だったのかもしれません。
そういう人たちに対し、市長は「刺青の有無」をもって正義を振りかざそうとしているのです。
 
ここまで書くと、もはやこの先の説明は不要ですね。
「公務員なのだから、刺青を入れるような行為は許されない」は、あまりにも乱暴な仕切り方です。
公務員が刺青を入れたのではなく、刺青のある人が公務に就いていることもある、のです。
なおかつ、その人は、真面目に職務を全うしているかもしれない。
 
個々の事情を何ら鑑みず、「刺青=悪」とするのは、あまりにも了見が狭い考え方ですよ。
「さすが弁護士。世間を知らない」
「刺青=悪は差別的発想。よって弱いものいじめによる人気取り」
「上方出身の総理大臣はほとんどいない。よって上方人は政治がヘタクソ」
とまあ、冒頭の誤謬にかこつけた挑発の言葉を最後に記します。
(以上は本心ではありませんよ。こういうレトリックと五十歩百歩だと言っているのです。)
 
なお、上記は、20年以上、社会調査を仕事としてきたため、面接(ヒアリング)を1万人以上やってきた経験による私的見解です。