日刊早坂ノボル新聞

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政策(目標の提示)より実行?

いちいち気になるのは、「維新」を標ぼうする、この人のレトリック。
 
計画立案とその実現との関係は、これを旅行に例えるとわかりよいです。
旅行に出かける時、最初にすることは、「行き先を決める」ことです。
「どこに行くか」を決めることで、「どうやって行くか」ということの選択肢が見えてきます。
南米に行くなら飛行機に乗るし、郊外の温泉に行くなら、車か電車になります。
すなわち、行先(目的や目標)は明確であればあるほど、方法を選ぶのが楽です。さらに、どこまでその目的に近づけたかを、具体的に示すことができます。
行先を「東京駅」と定めれば、その目的地まで何キロ地点まで到達したかを、はっきりと示すことが出来るというわけです。
 
このため、行政計画を策定し、これを実行していく際には、まず1)基本構想(どういう望ましさに向かうか)、2)基本計画(その実現のためにどのような政策をするか)、3)実施計画(具体的に何をどこまで行うか)という手順を経て、望ましさの実現に向け、達成度を測ることができるように計らっているのです。
 
1)の「基本構想」では、たとえば「老後の不安のない社会づくりを行う」といった望ましさが語られる。
2)の「基本計画」では、「低所得者に対する補助」など誰に対しどのような働きかけをするかを明示する。
3)の「実施計画」では、「年収120万円以下の高齢者に対し、月に〇万円の年金を支給する」などと具体的な数値目標を示す。
1)を実現する具体的手段が3)ということですが、3)が達成できたかは、数値で示すことができ、わかりやすくなります。
 
「細かな政策(目標)は官僚に作らせればよい」
「政治家は官僚のできないこと(たぶん理念のこと?)をやる」
は、こういうステップのことをヘタクソに言い表したものだろうと思います。
概ね1)は政治家、2)から3)は行政(官僚)が担ってきたのは事実ですが、これでは従前と同じです。
 
この、3)の数値目標を示すのは、まさに官僚の仕事です。
ところが、これまではこれを官僚に任せきりだったので、官僚が国を支配しないように、政治主導を唱える政治家が現れてきた。
すなわち、「官僚に支配されない政治」とは、これまで官僚が行ってきた2)から3)までのステップを、政治家が見通すことを意味するのです。
丸投げにするから、良いように決められてしまう。
文言の解釈ひとつで、復興予算が「風が吹けば復興が出来る」みたいな使われ方をされてしまう。
 
この政治家(?)は大まかな目標すら示さずに、「実行」を唱えるが、そもそもその実行とは何なのか。
国民をどこに連れて行きたいのか。
文言を連ねるのは上手かもしれないが、話に実が全くないし、こういった常識的な政策手順のことも知らない。
どこに行くかをまったく示さずに旅行に出発しても、単に「さまよう」だけですよ。
この人は、大方の見方通り、ただのポピュリストであることは間違いないです。
また、自分が優れた人間で、下々の国民を、自分が統治するつもりでいる。(ややプロファイリング調か。)
 
第三勢力の反対側の「黒幕O」も本質的に同じなので、それこそ国民は第1極から3極まで、誰を頼みとすればよいか、困ってしまいます。考えを同じくする人で政治結社を作り、自分なりに展開していく他はないのでしょうか。