日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第210夜 刑務所のライフライン

テレビドラマの「ウォーキング・デッド」を見ながら、眠りに落ちていました。
そのせいなのか、刑務所みたいな施設の中にいる夢を見ました。

眼を開けると、テーブルの前に女性が座っています。
「トイレはどうすればいいの?」
周囲を見回すと、上は高い天井、左右には鉄格子のあるドアが並んでいます。
ここは、きっと刑務所か、精神病院みたいなところです。
(まるで、ホラー映画に出てくる建物だ。)
くすっと笑うと、目の前の女性が怪訝そうな顔をします。
「あ、スマンです。トイレはすぐに詰まるから、必ず水で流さなくちゃならないですね。下水の方はよく出来ていて、水で落としてしまえば、配水管を伝って外に流れて行きます」
でも、上水道の方はそうはいきません。
こういう大きな施設では、一旦、ビルの上の貯水槽まで上げて置き、そこから下ろすことで水圧を得ます。よって、電気が止まれば、貯水槽の水が無くなった時点で、水が出なくなります。
「水道はもう出ない。外には出られないし、どうやって暮らして行けばいいのかな」
小川でもあれば、そこからバケツで水を汲んできて、トイレのタンクに入れれば良いけれど、それもできません。
「井戸を掘り終わるまで、穴を掘ってそこでするしかないですね」
周囲の木々は広葉樹で、四季がある環境です。なら、場所を選べば、水が出るでしょ。
「建物中が臭くなったっら、とても暮らしていけない。仕方ないわね」

この辺で、今、自分が「ウォーキング・デッド」の中にいることに気づきます。
このドラマを詳しく検証すると、おかしなところが沢山あります。
電気・水・ガスなど、いわゆるライフラインが全部止まっているはずなのに、普通に生活しています。
まるで、水道をひねれば、じゃあっと水が出てきそう。
話としては「食糧を調達しに行く」とかが出てきますが、ひっ迫感はまるでなし。
日本で経験した通り、ライフラインが3日止まれば、商店の棚は空になってしまいます。いざフローが止まれば、そんなもの。どこかにあるように見える・思えるのは、毎日仕入れがある時の話だけです。

5、6人分くらいの1回の食事の煮炊きに使う薪の量を1.5キロとすると、50人では15キロ。1日に2回火を使うことにして、30キロ。十日で300キロ、1か月で900キロ。
乾燥材でこの量なので、生木なら、比較的大きな立木を3本切り倒し、これを乾かした後で薪割をしなくてはなりません。
なら、誰か数人が毎日木を切るか、薪を割っている。

(ま、所詮は、脚本家がPCの前で書いた話なんだから、目くじらを立てることもないか。)
と思いつつ、夢の中の頭では、別のことを考え始めます。

この話の中では、死ねば必ずゾンビになってしまいます。ゾンビに噛まれた時だけでなく、病気で死んでも、事故や殺人の被害者でも、必ずゾンビになる。
死者が動き出す要因としては、ブードゥー教など超自然とは関係なし。(「サンゲリア」的ではない。)
違法な化学物質の投棄によるものでもない。(「バタリアン」的でない。)
そうなると宇宙線とか、何か自然科学的な別の要因ということです。
この辺は、ロメロ的なゾンビに似ているが、微妙に違うようです。
そう言えば、冒頭から、既にゾンビが大量に街を徘徊している状態でした。

どうして起きたかという説明がまったく無く、秩序が崩れるさまを延々と描いていくことになるのでしょうか。
でも、「こんな世界(または社会)のわびしさ」をバラードで流してしまっているので(映画としては禁じ手)、もはや、この路線は壁に当たっていそうです。

「ねえ。トイレどころじゃないかもよ。テーマが曖昧なので、仕方なく仲間を順番に1人ずつ殺してる。そろそろ、人が少なくなってきたから、じきに行き詰るのでは」

ここで覚醒。
実際には、生活環境を逐一点検したのですが、とりとめのない夢でしたのではしょりました。
都市生活しかしたことのない脚本家のようですね。