日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎火頭金剛(烏枢沙摩明王)

火頭金剛(烏枢沙摩明王

 正式名の読みは「うすさまみょうおう」で便所の神さまだ。

 掃除をすると御利益があると言われる。

 

 今朝、病院のロビーで受付を待っていると、急にトイレに行きたくなった。そこで奥にあるトイレに入ったのだが、便器が汚れていた。

 コロナ以後、ウイルスを留めぬよう掃除道具をトイレの中には置かなくなっているが、それは逆に「清掃員の回る朝と夕方しか掃除をしない」ということでもある。(私はこっちの方が不衛生だと思う。)

 仕方なく隣に入ったのだが、そこで思い出したことがあった。

 つい数週間前には「今度こそ今生の終わり」と覚悟していたのに、何とか生き残った。

 これまで同じ病棟で、「去り行く患者」を見て来たが、いずれも私のような経過を辿り、「ある日突然動けなくなる」。すぐに入院病棟に移るが、いざそっちに行き、戻って来た患者はいない。

 私も同じで、ほとんど息が出来なくなっていた時期もある。

 七八キロくらい痩せたが、何とか回復の途上にある。

 

 「こういうのも福音(か功徳)のひとつなのだから、生きているうちに恩を返そう」

 何を返すか考えたが、「この後、入ったトイレが汚れていたら、すぐに掃除をするのはどうか」に行き当たった。

 病院にせよ、公園のそれにせよ、スーパーにせよ、もし汚れを目にしたら、私が掃除をしよう。

 「そんなことを考えたんだったな」

 だが、既に別のトイレに入っている。道具も無いことだし、掃除はこの次からにしようか。

 だが、ここで思い直した。

 「俺にはもう『次』も『今度から』も『明日』もない。始めるのは今からだ」

 そこで、その個室を出た後、もう一度隣の個室に入った。

 トイレットペーパーで拭いたが、先ほど二度流してあったので、汚れは落ちやすかった。

 「ああさっぱりした。具合が悪くて病院に来ているのに、トイレが汚れていたら、病人は余計に気が滅入るだろう」

 いざ始めてしまうと、次からは抵抗が無くなる。線を越えれば、ほとんど平気になる。

 

 開運を願うためにトイレ掃除をするひともいるが、私には関係ない。運が開けるのを待つ時間はもはやないからだ。次に再び発症すれば、そこで終わりだ。

 それなら、多少なりともこの世に恩返しをすれば、思い残すことが無くなる。

 と、ここで終われば、幾らかクサい程のちょっと良い話だが、生憎私は善人ではない。今のところ、死後はたぶん、悪縁(霊)の仲間に入る。

 

 便所の神さまは「火頭金剛(烏枢沙摩明王)」と言って、頭に火炎を掲げている。

 仏像の外見をチラ見すると、不動明王に似ている。

 かつて、夢の中で、数十万の亡者の群れに追われたことがあったが、その時に私を救ってくれたのは、背に火炎を背負った仏さまだった。

 私はその仏を不動明王だと思い込んでいたが、もしかすると烏枢沙摩明王の方だったかもしれぬ。

 「烏枢沙摩(うすさま)」とは古代インドの言葉で「穢れを焼き尽くす」という意味になるそうだ。

 お不動さまの「強い意志で衆生を救う」というものとは、性質がまるで異なる。

 死後このまま、悪縁に変じたら、きっとこの世に戻り、嘘や欺瞞を焼き尽くそうとすると思う。

 それなら、死んだ後、この世に罰を与え始める前に、今は他の者のために少しだけ善行を積もうと思う。

 

 追記)この後眠りについたが、かつての「火炎を背にした仏」は、やはり不動明王だった。数十万の亡者を救おうと考えていたらしい。私はその駒となり、知らぬ間に手伝いをしていたようだ。