日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「百鬼夜行」の記憶


百鬼夜行」の記憶
 これまで幾度か書いた話だ。
 五歳頃に経験したことだが、果たして現実に起きたことなのか、子どもが思い描く妄想だったのかが、今ではよく分からない。
 その頃には「自分がトラックに撥ねられて死ぬ」夢を頻繁に観たが、リアル過ぎて、現実の記憶と区別がつかぬほどだ。ただ、撥ねられたのが昭和二十三年で、道路が砂利道だったから、「現実ではない」と思う。私が五歳の頃には、その場所は舗装されていた。そもそも私は五歳の時に死んではいない。

 こちらの話は「百鬼夜行」に遭遇した、という話だ。
 私の生家は、国道四号線に面した商店だった。昔風の商家づくりで一階が店舗、二階が住居だ。
 トイレは家の外にあり、二階の部屋から外のトイレに行くには三十㍍近くある。その間、灯りが無いから、子どもが夜中に行くには、怖ろしかった。何かがいるような気がしたし、当時は数度泥棒に入られた。レジを盗まれたことが複数回ある。
 危害を加えられることが無いように、二階に上がる階段には、重い戸板が被せてあった。子どもにはこれを開けるのもしんどいし、下は真っ暗な穴だった。
 深夜だと、怖ろしくてトイレに行けぬので、いよいよよ言う時には、二階の窓から放尿した。子どもだから、さほど汚くも無かったと思う。

 ある時、夜中の二時頃に尿意を催し、目覚めた。
 この時間帯にトイレに行くのはもはや難しい。
 そこで、二階の窓を開け、そこから放尿した。
 その時、何気なく道の先(北側)を見た。
 道の北側には、七八十㍍先に甚平衛坂と言う坂があり、こちらから見ると下り坂だ。よって、その先の方は見えない。
 北から南下してくる者がいると、車でも人でも、地面から湧いて出るように見える。
 その頃の街灯は裸電球だったから、かなり薄暗い。
 その薄暗い先に、何やら沢山の人たちが上がって来るのが見えた。

 私の生家は姫神山の西の入り口にあり、当時はその山は山伏(修験者)たちの拠点だったから、夜昼問わず、修験者が山を行き来していた。だが、その場合は一人か二人で、大勢ではない。
 地面から上がって来た人影は、先頭で数十人ほどだったが、後ろにどれくらい続いていたかが分からない。先は坂下だから見えぬのだが、たぶん、延々と何千人と続いていたように思えた。

 その行列は坂を上がると、ゆっくりと南下して来た。
 四十㍍くらいの距離に来た時に、人々の詳細が見えて来たが、行列は幾本も幟が立っていた。白い幟旗や色の付いた旗だった。
 その様子を見て、子どもの私は、つい数日前に見た葬式の行列を思い出した。集落の高齢者が亡くなり、当時は土葬だったから、棺桶を墓地まで運んだが、その時の行列と雰囲気が似ていた。

 次第に群衆が家に近づいて来たが、街灯の灯りに照らされたその人影は、とてつもなく怖ろしい者だった。
 死人のように真っ青が顔をした者がいるし、傀儡の者や、化け物のような姿の者がいた。地獄の鬼のような姿をした者までいる。
 それを見た瞬間、私は恐怖にかられ、急いで布団にもぐり込んだ。窓を閉める余裕がなかったので、開けたままだったが、家の前の道を草履で歩く足音が、長い間ひたひたと響いていた。
 私は頭まで布団を被り、ひたすら、「家の中に入って来ませんように」と願っていた。
 どれくらいそうしていたのかは分からぬが、縮こまっているうちに何時しか眠りに落ちた。このせいで現実か妄想か、あるいは夢だったのかの境が曖昧になった。

 実際に「亡者の群れ」を目視したのは、この一度きりだ。
 だが、これ以降、幾度となく、死者・バケモノの群衆に追いかけられる夢を観るようになった。
 少なくとも、季節ごとに一度は観たから、既に数百回は観たと思う。
 始まりはいつも同じだ。
 場所は様々だが、一キロくらい離れたところに、大群衆が見える。ちょうどドラマの『ウォーキング・デッド』のゾンビの群れと同じような見え方だ。
 これが次第にこっちに向かって来る。ゆっくりと歩いて来るのだが、赤や黒の幟旗を立てているのがゾンビとの違いだ。
 亡者(死人)が主体なのだが、妖怪のようなバケモノのような者も混じっている。まさに百鬼夜行だ。
 そんなのに捕まったら大変だから、走って逃げる。
 必死で逃げているうちに夢から覚める。
 これが数十年続いた。

 四十台になると、少し内容が変わり、群れがごく近くまで迫るようになった。数十㍍のところまで追い付かれるので、民家の陰に隠れたり、大岩の後ろで難を逃れる。

 平成の末頃に観た夢は、「家人と一緒に逃げる」展開だった。
 後から亡者の群れが迫って来るので、家人と手を繋いで道を急ぐのだが、群れはほんの四五十㍍まで近寄る。
 すると、前の方に巨大な不動明王が現れ、火炎を吐いて、亡者たちを押し留める。
 「助かった」と思い、そこで目が覚めた。
 この時以来、お不動さまが当家の守護神になったので、度々お参りに行く。
 もちろん、不動明王は、あくまで理念であって、人の姿をした存在ではないことは承知している。仏の姿はいずれも、衆生が分かりやすくなるように表現されたものだ。 

 決定的な転機は、平成末年から令和元年頃だと思う。
 この頃、私は亡者の群れ(百鬼夜行)に追い付かれ、その中に飲み込まれたと思う。
 この付近では、写真を撮影すると、必ずどれかに幽霊が写り込んだ。そしてそれ以降は、常に周りに何者かがいる。
 今では人のかたちをした姿が写り込むケースは少なくなったが、逆にそれがなくとも、気配を感じることが多くなった。
 「腕を掴まれる」のはしょっちゅう起きる。

 最近、感じるようになったのは、「今は亡者の群れのど真ん中にいる」ということだ。うろうろと徘徊する亡者の群れの中にいて、流れに押されるように動いている。
 こちらがまだ「生きた人間」だということに気付かぬ者が大半だが、時々、それと気付く者がいて、ゾンビのように齧りついて来る。
 いずれ死ぬだろうが、その時に群れの中にいると、完全に「亡者の一員」になってしまうだろうから、早いうちに抜け出る算段をする必要がありそうだ。