日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎新たな来訪者

新たな来訪者
 毎夜、午前二時頃になると、耳元で「死にたい」「生きていても仕方がない」と囁かれる。すぐ耳の裏だから、どうしても目覚めてしまう。
 「寝ぼけた」という次元の話ではなく、はっきりくっきりとした声だ。聞き慣れぬまでは、飛び起きるほどだ。

 昨夜(というか今朝)の午前二時頃には、目は瞑っていたが、頭は起きている状態だった。
 すると、居間のドアを開けて、男が入って来た。
 身長が185㌢くらいで、かなり背が高い。
 まともに見たわけではないが、足音や気配で、それが男で、それくらいの背丈ということが分かってしまう。
 おまけに、エンジ色のセーターを着ていることまで何となく分かる。
 生きている人間だと、疑いなく侵入強盗だから、すぐに撥ね起きたが、誰もいなかった。

 もう一度横になったが、今度は別の声が聞こえる。
 「投げ出したらだめだよ」
 「体勢を立て直してやり直せ」
 その声を聴いたら、一瞬で心が軽くなった。
 名前を引き合いに出しては申し訳ないが、このところの私は、たぶんウエシマさんとほぼ同じ心境になっていたと思う。

 あの世には、全面的に支援し助けてくれるような、一般に言う「守護霊」のようなものはいない。一方、仲間のような者はいて、子どもを見守るように遠巻きにして見ている。
 たまには、声を掛けて励ますこともあるようだ。
 背の高さは息子くらいで、一瞬、息子かと思ったほどだから、そういう気配をあえて出していたのだろう。「敵ではない」という意図を示す。

 最近、夜中に囁く者のことを、私は「死にたい女」と呼んでいるのだが、コイツは駅に立っていたわけではなかったらしい。
 ずっと前から、やはり少し離れたところに立って見ていた。
 駅に行ったので、ゾロゾロと連れ帰ったのだが、それを見て、「この男は私のものだ」と慌てて寄り憑いたようだ。
 具体的には、過去に撮影した「舌出し女」だ。
 幽霊の存在に気付き、眼をとめて「コイツは何だろ?」と注視すると、その影響で相手の方もこちらの存在に気付く。
 私に寄り憑いたのは、トラの神社の内門で、「蜘蛛の糸が顔に掛かった」あの瞬間だった。神殿の周囲を訳も分からず周回していたが、私が来たので、後ろをついて来た。

 という経過らしい。

 なるほど、これですべてが繋がった。
 やはり自死者で、自死者は「死に間際」の感情に囚われたままで、ひたすら彷徨う。
 自死で解決されるのは、病苦だけで、心が晴れることはない。
 高齢の患者はともかく、若者の自死を抑止するために、あの世の知見を役立てられると思う。

 今は、かつて母に起こっていたたこととほぼ同じことが起きているようだ。母も午前二時には必ず目覚めて、水を飲んでいた。
 だが、母は自分に何が起きているかについては、一切口外しなかった。旧家の長女だったので、世間体を考えたのだろう。

 これを読んだ人は「コイツはイカれている」と思うだろうが、私は別に他人にどう思われようと構わないので、起きたことは記録するようにしている。

 「投げ出したらだめだよ」
 「体勢を立て直してやり直せ」
 必ず出来るから。
 これは、私に対する言葉であると同時に、生きることに嫌気が差した人たちに向けてのメッセージだと思う。