日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎正夢になって行く

◎正夢になって行く

 子どもの頃から何百回も観続けている夢のひとつが「百鬼夜行」または「亡者の群れ」だ。

 夢の中では、私は道を歩いているのだが、ふと振り向くと一キロくらい後ろに群衆がいるのが見える。東京競馬場が満杯で十万人くらいだから、それと比べると、凡そ三十万人はいるようだ。

 その群衆が私の進む道の後ろを、私の後を追うようについて来る。

 ゆっくりなようだが、次第に差が縮まって来て、七百㍍、五百㍍と近づく。

 数百㍍のところまで来ると、相手の様子が見える。

 群れを成していたのは、亡霊とも妖怪ともつかぬ化け物たちだった。

 「こりゃ不味い。あいつらに捕まったら大変なことになる」

 前を急ぐが、次第に道が険しくなる。集落の中に入ったりもするが、どの家にも灯りが無く、そもそも荒れ果てた廃屋ばかりだった。

 足が止まり、差がどんどん小さくなり、ついには二十㍍くらいのところまで追い付かれる。

 ここから先はその時々によって異なる。

 だが、道端の樽の中に隠れたり、不動明王に救われたりと、手を掛けられるところまでは行くが、最終的にはこれまで亡者たちに捕まったことはない。

 

 ガラス映像を撮影するようになったら、まるでこの夢の中に出て来たような状況のものが撮れることがある。

 ガラスの前に立っているのは私一人なのだが、私の周りには幾人もの人影がいる。

 ただ立っているだけのこともあれば、私の体に手を掛けて捕まっている時もある。

 さらには、それがムカデ行列のように後ろに連なることもあるのだ。

 

 理由は分からぬが、私は亡者・幽霊の側から、よく見える(見られる)ようで、ガラスの中の人影は、殆どの場合、私のことを見ている。私に眼の焦点が合っているわけだ。だから、私に容易に近づき、手を掛けて来るのだろう。

 ここで気付くのは、繰り返し観て来たあの夢の状況と、私なりの現実がよく似ているということだ。

 私はあの世と関わりやすい気質・体質だと言われるが、亡者の群れがどこまでも後をついて来るさまは、まさに現実そのものだと思う。

 

 昨日のことがあり、今日も八幡神社に参拝したのだが、ガラスの中の私自身を撮影すると、「やたら按配が良くない」ことが分かった。

 もっとも気になるのは、両脚の前に突き出ている腕(か足)が、かなり実体化していることだ。絡みついているさまがよく見える。

 そこで、すぐに家に戻り、デジカメを持って再び八幡さまに戻った。

 改めて撮影すると、光の進行方向(角度)に歪みが出ているところが、幾つもあった。

 今は人のかたちとして整っていなくとも、何となく分かるようになっている。

 (ガラス映像を見慣れていない人には難しいと思う。私は一千枚以上を観察して区別がつくようになった。) 

 

 ま、比較的分かりよいのは、右脚付近の黒い影だ。私の像を打ち消すように重なっている部分があるので、「そこに何かがいる」と分かる。

 分析に苦労したが、どうやら前に老人、後ろに女(複合体)がいるようだ。

 老人はまるで妖怪のような姿だが、挨拶を送るように「よっ」と右手を挙げている。

 当惑させられるのだが、あの世は「何でもあり」で、妖怪みたいなヤツもいれば、魑魅魍魎みたいなヤツもいる。

 俄かには信じ難いのだが、これまで幾度も見ている。

 

 一体この先どう展開するのかは、まったく想像がつかない。

 とりあえず、胴に巻きつかれたままだと、悪影響があるので、帰宅してからすぐにご神刀で体の周りを斬った。

 

追記1)概ねこんな感じ。

追記2)一週間~十日くらい前から、両足の親指に靴擦れが出来、酷く痛んでいる。足が頻繁に痙攣を起こしていたが、この日、ようやく理由が分かった。穿き慣れた運動靴なのに、血が噴き出るほど傷が付いていた。私は糖尿病は軽微なのに、「下手をすれば足を切ることになるかも」と思っていた。取り越し苦労で終わってくれれば良いのだが。

 冬から春先には、こういうことが起こりやすいようで、二年前にも同様のことが起きたと記録に残っている。昨年の三月にはその年の秋に得た稲荷の障りが本格的に現れて来た。五月頃には酸素を吸引するほど具合が悪かったので、よほど警戒が必要ということだ。