日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎想定外だった

想定外だった

 令和元年当時は想定外のことがどんどん起きていた。

 この温泉施設ではかつて感染事故が起き、三人くらいの高齢者が亡くなっている。このため一二年間休業し、経営母体を替えて再出発したところだった。

 ガラスがあると、無意識に自分自身を撮影する習慣になっているが、老人の苦し気な顔が鮮明に映っているので、「ここで因縁が生じたのだな」と思って、重ねて供養をした。

 数か月で完全に気配が消えたが、重要なのはそこではなかった。

 

 私自身に「頭が無い」のだが、これは「傍に幽霊がいる」時に時々起きる。幽霊は「光(波長)を歪める存在」なので、写るべきものが写らなかったりする。

 今回気付いたのは、私から離れた場所に、もうひとつのフラッシュ光があることだ。状況的には、二重のガラス扉に姿が二重に映っているはずなのだが、平行の扉二枚にしては離れ過ぎだ。

 

 そう思って注視すると、実際には「私と同じポーズをとる人影がある」ということだった。

 前日に丸メガネの「私に化けようとする男」を撮影したが、後続が次々に来ていたらしい。

 他の者には見えぬと思うが、私の頭は四五本の手で掴まれている。ものすごく気色悪い。

 

 人間は生まれてからの記憶を詳細に持っており、いつでもそれを再現できるようだ。普段はそれを記憶の引き出しに仕舞い、取り出さぬようにしているが、それが「忘れた」ということだ。

 実際には、仕舞ってあるし、取り出せる。

 この一念で自分に起きた変化は、幽霊が触感で分かるようになったということだ。「見える」「聞こえる」よりもこっちの方が確実だと思う。

 

 この画像を見て、当時のことを思い出す時に、私には頭を触られている感覚が蘇る。当時は自覚出来なかったのに、今はどの時点で何が起きていたかを理解できる。

 ものすごく気分が悪い。

 「自分の後ろを、何万人の亡者がついて来る」という夢をいまだに見続けている。最初は千人かそこらだったのに、今は数十万人だ。

 もはや何百回観たか分からぬほどだが、ただの夢ではなかったようだ。

 

 二日後に「白い服の女」が現れて、「この者は自分のもの」だと宣言してくれなかったら、寄り憑いて来た奴らに捕まっていたかもしれん。

 私の方は呑気に「年寄りの幽霊を助けてやろう」と思っていた。何と無知で傲慢なこと。この地を浄化したのは、「白い着物の女」で、私にとっての「白衣観音」だった。

 

追記)ここは何か核心に触れたらしい。画像のサイズを整えるためにパワポに転写して再画像化するのだが、一瞬でパワポが壊れた、