◎想定通りのこと
現状では私は「乗り合いバスの運転手」と同じような状態だ。
各所で乗って来る者がいるわけだが、それを下ろすためにお寺や神社に行く。
多くはそこで降りるのだが、だがそこで乗って来る者も居る。
今朝になり、「あれあれ。新参者が乗ってら」と気付いたので、とりあえず最寄りの八幡神社に行った。
駐車場では桜がほころび始めている。
日高飯能では、桜が三分咲きだったが、この辺ではまだ開き始めるところで、満開はまだ先のよう。
すぐに社務所の前に行き、自分自身を撮影した。
カメラモードにすると同時にスマホが誤作動し、三十枚くらい連写したから、異常が起きていることが分かる。
目視確認するまでも無く、「男」の所在を感じた。
この他に、先日の「女」もまだ後ろにいる筈なのだが・・・。
画像を開くと、TPOが合わず、不鮮明だったが、スマホを持つ左右の腕に別の手が添えられていた。ほっそりとした手だから、女の手だろう。
車に戻り、そこで「繰り返しご供養はしてやるから、適当なところで俺から降りること。生きている人間に悪さをするなよ」と声に出して告げた。
こういう者には理解力が無いので、帰宅してから肩の周囲をご神刀で斬った。
少し痛い思いをしないと、先方は「やってよいこと」と「悪いこと」、「関わってよいこと・ダメなこと」が分からない。
画像自体は不鮮明で、はっきりしない類のものなのだが、当人は肘付近に触感があるので、目視の有無はどうでもよい。直に撫でられれば、眼を向けずとも「触られている」と分かる。
ま、世の中には、肩の上に乗られているのに、「見えないからいない」と言い張る者もいる。重さやだるさがあってもそれと気が付かない。
もちろん、これらすべてが妄想で、実体がない場合もある。
だが、「気のせいだろ」で話が終わるのは「傍観者だけ」で、当事者は先んじて手を打つ姿勢が大切だ。自力で対処する・出来るうちには、他者に迷惑をかけることも無い。
私の場合は、自分以外の手が六本とか八本ほど体を掴んでいることがあるのだが、放置すると体調が著しく悪くなる。先回りして対処して置くに越したことはない。