日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第310夜 太鼓を叩くのは誰

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つい先ほど、東北訪問より帰りました。

数日前に、倉庫整理のため、郷里の実家に寄ったのです。
「ちょっと倉庫に行き、荷物をまとめて来る」
すると、老母がポツリとひと言。
「あっちの近所の人が言うには、時々、上から太鼓の音が聞こえるとのこと。何でだろうね」
さすがにドキッとします。

その倉庫は15年前まで住んでいた家で、今は空き家。
ただ空けておくのは惜しいので、今は専ら倉庫として使っています。
私自身もその内の4部屋に自分の物を突っ込んでいます。
2階には出し入れが面倒なので、ほとんど物を入れていないのですが、昨年、置き場所に困り、太鼓を置いて、そのままにしてありました。

しかし、日頃はこの2階に立ち入る者は誰もいません。
この倉庫に入ること自体、私が数か月に1度ずつ搬入・搬出のために訪れる程度です。

「はは。あそこの2階には俺の太鼓を置いてある。時々、その太鼓を叩く夢を観るから、俺の生霊があそこに入って、叩いてるんだろ」
母は頷き、「なるほどね。叩いていたのはお前だったか」と呟きました。
(この母の言葉は作り話です。実際は「誰もいないのに何で鳴るんだろうね」でした。)

とりあえず倉庫に行ってみました。
15年も空き家だと、さすがに埃まみれなので、玄関で持参したサンダルに履き替えます。
中に入ろうとするのですが、やはり嫌な感じです。
まるで「入るなよ」と言わんばかりです。
「人の住まなくなった家には、魔が入り込むと言うが、これがそうか」
こういう障害への対処法は簡単です。

柏手を打ち、声を上げて宣言します。
「この家が建てられた時から、ここは俺の家だ。出て行くのはお前の方だ」
再び柏手を打ちます。
これでスッと圧力が退き、楽に入れるようになります。
頭で思うだけでなく、きっちり声に出して「線を引く」のが肝要です。
たぶん、相手に対してではなく、「自分自身に言い聞かせる」という効果だろうと思いますね。
要するに「腹が据わる」ということ。
特別なまじない文句やお祓いは要りません。

2階に上がってみると、やはり埃だらけ。
太鼓は昨年のまま置いてありました。
そこでその太鼓に、持参したシートを被せました。
仮に私自身の生霊が訪れたとしても、こうすれば音が出ることはありません。
生霊はひとつの動作しか出来ないので、「シートを外して、太鼓を叩く」という2段動作にすると、対応出来なくなるのです。

なぜこんな現象が起きるのか、あれこれ説明を考える必要はありません。
「絶対に生霊だ」
「寒暖により、内外に空気圧の差が生じ、震えるのだ」
そんな議論は一切不要です。
原因はどうであれ、シートを被せてしまえば1件落着ですもの。
説明をこじつけなくとも、問題を終わらせてしまえば良いのです。

例えて言うなら、男女の別れと同じです。
「この人のこれこれこういう所が私には合わないから別れます」
それを、相手や別の第3者が分かるように説明する必要はなく、ただ別れてしまえば良いのです。
「別れたいから別れます」ということ。理由づけは要りません。

さて、冒頭に戻ります。
人が立ち入らぬ空き家で、深夜2時ごろに「ド~~ン」と太鼓が鳴る。
これは一体誰が鳴らしているのでしょう。

とりあえず、時々、そこで自分が太鼓を叩く夢を観ますので、「夢の話」としました。