◎夢の話 第688夜 魂が抜け出る
17日の午前2時に観た夢です。
瞼を開くと、しかし、周囲は真っ暗だった。
眼を凝らして周りを見ると、どうやら玄関の三和土のようなところに立っている。
「ここは・・・」
もちろん、覚えがある。
ここは俺の郷里の実家だった。
と言っても、高校を卒業する頃まで住んでいた家で、今は倉庫になっている。
「ってことになると、これは夢だな。俺は夢を観ているのだ」
こんな風に、実家に帰った夢を時々観る。
多くは「かつての自分」の体験をなぞるような話で、俺は高校生くらいに戻っている。
きっとこれもそう。
そうなると、父は店で魚を捌いているだろうし、母は台所で何か料理を作っている。
じきにそんな物音が聞こえて来るはずだな。
ところが、いつまで経っても、周囲が明るくならない。
家の中は真っ暗で、物音ひとつ聞こえなかった。
「おいおい。一体どういうことだよ」
その場に立ったまま、周囲を見回す。
すると、下駄箱の上に、缶コーヒーが置いてあった。
「ありゃ。これは、今年の夏に倉庫整理をした時に、俺が置き忘れたヤツだ。これがこのまま置いてあるということは・・・」
これは、昔を思い出す夢ではなくて、「今」に限りなく近い夢だってことだな。
実際、母屋の方には俺しか入らないから、あそこには今もまだコーヒーの缶が立っている筈だ。
「でも、何で今現在のこの家を夢に観るんだろ。夢は記憶の整理箱というが、今のこの家のことを思い浮かべても、何の感情も沸いて来ないのに」
家の中は相変わらず真っ暗で、「キーン」という静寂の音だけが聞こえる。
「静寂の音」とは、五感が外界と遮断された時に、脳が創り出すあの音だ。
「こういうのは苦手だよな。ま、大人は皆苦手だ。崖が崩れて、車が岩に下敷きになり、三日くらいの間、暗闇の中に閉じ込められた子どもがいたが、大人なら到底神経がもたない」
でも、ここは俺の家だから、その辺は大丈夫だろう。
ここで俺は壁の上に眼を向けた。
そこには時計が掛けてある。
こないだ来た時に電池を入れ替えてあったから、きちんと針が動いていた。
それを見て、俺は少しく笑みを漏らした。
「ここに住む者は誰もいない。倉庫だから人が来ることもあるが、しかし、母屋の方には入らない。その母屋の時計を動かして、俺は一体どうしようと言うのだろ」
ま、容易に想像はつく。
子どもの頃に住んでいた家だから、俺は「そのままで居て欲しい」と思っているわけだな。要するにノスタルジアだ。
「しかし、余りにもリアル過ぎるぞ。棚の上の埃もそのままだし、三和土のコンクリのヒビも現実そのものだもの」
ここで俺は気が付いた。
「もしかして、これはまさに今のこの家の姿ではないのか」
今年は母が死に、父は介護施設で暮している。
俺にとっての「過去」が遠くなりつつあるから、それを惜しむあまりに、俺の魂だけが抜け出て、ここに来ているわけじゃあないだろうな。
「不味いよな。俺はそういうジャンルでは、一歩も二歩もはみ出ているし」
この時、二階の方から「ボオン、ボオン」と鐘が二度鳴った。
それは俺の部屋にある長時計の音だった。電気仕掛けだが、かたちは昔のゼンマイ時計のままで、鐘の音が響く。
夏の間に俺はその時計も調整していたのだ。
その音に驚き、ここで覚醒。
目覚めてすぐに時計を見ると、午前2時1分だった。
「おいおい。俺の魂が本当に体から抜け出て、田舎の家に行っていたわけではないだろうな」
昔話ではよく聞くが、まさかそれが俺の身に起きていたりして・・・。
「でもそいつは本当に不味い。だって、俺の場合は、体から抜け出た魂は、きっと『生霊』ってヤツに近い存在になって行くはずだもの」
悪徳政治家に取り憑いて、本人や周りの者を苦しめるのには重宝だろうが、それをやると、いずれ必ず悪霊になってしまうのだ。
そんな風に自分が変わって行くことは、想像するのも怖ろしい。
日頃から「もし自分が死ぬと、そこでもやっぱり不浄の霊たちを引き連れて、あても無く彷徨うようになるのではないか」と感じているからだ。