日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

どこまでが妄想なのか (4)

「ノックの音が」の続きです。

気にし始めると、イライラしてきますので、2時ごろから玄関のドアの裏側で椅子に座って待ちました。

「目の前でドアがコンコンと音を立てる」
とか、
「玄関の擦りガラスの向こう側に、人の影が映る」
といった、目視確認出来る証拠が出てくれば、それはそれで納得です。
映った人の影が女性なら、「やっぱりそうかあ!」と手を叩くことでしょう。

まあ、世間一般で扱われる「怪談めいた出方」はしないだろうとも思っています。
霊が出る時は、ごく当たり前のように「景色に溶け込んでいる」ので、ほとんど分かりません。
おどろおどろしく見える印象は、生きている人が創り出したイメージ(妄想)なので、そういう感じで現れる「証拠」(ビデオ等)は、総て偽物です。
テレビでよくやってる心霊映像は、100%、合成作品ですね。
静止画像ではたまに本物がありますが、そう言った場合は、現像エラーのようにごく自然に見えてます。

などといったことを考えながら待ちますが、やはり現れませんでした。
20分くらい待ちましたが、寒さに負けて、そこで終了。

やはり監視カメラしか方法が無いのかも知れません。

しかし、「正体を探ろう」という発想自体が、好事家的な関心によるものです。
恐怖映像を面白がる心理と大差ありません。

何かメッセージがあるのなら、メッセージを受け取る方に集中すべきだろう、とも。
メッセージの出所が、あの世からでも、自分自身の深層心理でも、どちらでも問題はありません。
自分自身を含め、誰かが何かに気づいており、それを教えてくれようとしているわけですから、「どのような方法で教えてくれているのか」ではなく、「何を教えようとしているのか」の方が重要です。

果たして、破魔札などで押さえつけようとしても良いものでしょうか。
耳をそばだてることの方が賢明なのかもしれません。