日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

死ねばノーサイド

A級戦犯は、死刑になることで、戦争に対する自らの責任は取っている。
靖国神社は、神社のかたちを取っているが、実質的には慰霊施設で、お墓と同じ。
その中には、A級戦犯でない何万柱もの魂が祀られている。

お墓を汚すことが「歴史に向き合う」ことになるのか。
もちろん、そうではありません。
それは死者への冒涜です。

ところで、私の妻はアジア系外国籍です。
(イメージの固着を避けるため具体的には書きません。)
妻の祖母は数年前に、百歳で亡くなりました。

その祖母の生前に、義母に言われたことは、「絶対に会ってはいけない」ということです。
義理の祖母は、日本軍に夫を殺されており、そこことを死ぬまで恨みに思っていたのです。
その夫は日本軍に抵抗したので捕まったのですが、一列に並ばされ、銃殺されたとのこと。
その恨みがあるので、「日本人」に対し、義理の祖母は深い恨みを抱いたのです。
実際に、その地方を訪れた日本人のことを「殺してやる」と言って、包丁で追いかけ回したこともあったらしいです。

義母は続けて私に言いました。
「目の前で夫を殺されたのだからが、母が恨みに思うのは当たり前でこれが変わることは無い。一方、あなたは日本の軍隊とは何の関係も無い。だから、解決策は1つしかない。それは、離れていて顔を合わせないことです」
各々の言い分には、それぞれ正当性があるので、お互いにそれを言い合っていては争いになる。だから、距離をおけ、ということです。
この辺は、義母は長らく教員を務めていましたので、よく状況が見えています。

義理の祖母は当事者ですが、私は当事者ではありません。
しかし、「自分には責任は無い」とわざわざ言いに行くのは、それこそ愚の骨頂です。
祖母の心情に対し、あまりにも無理解な態度となります。

それと同じように考えると、対処法は次の通りです。
1)きちんと、戦没者の慰霊の日を制定して、その日に参拝する。これは靖国神社だけでなく、戦没者を祀ってあるあらゆる神社・仏閣を含めますが、そこに花を手向ける日にする。
靖国であれ他の神社であれ、「参拝するのが当たり前」だという環境を整える。

2)公人である間は特定の宗教法人に参拝しない。これは諸外国への対応ではなく、「特定の宗教に与しない」という憲法上の理由となります。国民にとって信教は自由ですが、公人は違います。

簡単に言えば、政治家が参拝しない代わりに、国民全体が参拝するということです。
これが定着した後で、徐々に「誰でも参拝出来る」に移行していけば良いのです。