日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

生まれかわり

何日か前に、テレビで「前世の記憶を持っている少年」について放送していました。
今ではなく、前の人生の時に暮らしていた場所の記憶があるというのです。
バラエティ番組の中のある1つのテーマという取扱いで、実際にその記憶に合致する場所があるかどうか、追跡取材をしたという内容でした。

実際に、前世で暮らしていた場所を訪れてみると、少年の言質の通りの部分もあれば、そうでない箇所もありました。
まるで、「複数の記憶が混じっているような状態」だとのこと。

その少年の記憶は本物ですね。
多くの人は、「生まれかわり」は「1人の人間が死んで、また別の人間として生まれて来る」というように捉えていると思います。
ところが、ひとりの人間(個人)の意識が存在するのは、肉体を持っている時だけのようです。
(死んでも「あの世」に行けない状態、いわゆる幽霊を除きます。)

ひとが死ぬと、自分と似たような存在が集まってひとつのまとまりになる。
その際に、生前の記憶を共有する一方で、こだわりを失くしてしまう。
仲間がたくさんいる方が居心地が良く、自意識に執着する必要が無くなるため、ここで記憶を「共有する」ことは「忘れてしまう」ことと同じ意味になります。

再び生まれて来る時には、魂の集合から分離して、ひとつの肉体に宿るらしい。
感覚や痛みを通して、個人としての自意識を得るわけです。

これを例えて言うと、「自分の前世が豊臣秀吉だった」人が複数いても、おかしくありません。
同じ集合魂にいたのなら、ひとりの前世が30人とか2千人に分散することもあり得ることになります。
別の例えをすると、肉体を持つ個人は「コップの中の水」になぞられることが出来ます。
死ぬことは、コップを割ってしまうことで、中の水が流れ出してしまいます。
流れた水は、たらいに溜まります。複数のコップの水が集まるとひとつの水溜りになりますが、様々なコップに入っていた水は皆混じってしまいます。
「生まれかわり」は、そのたらいの水をもう一度小さいコップに入れ直す、と考えると分かりよいです。
元は沢山のコップに入っていた水なのに、一度混じるともはや区別できません。

世の中の「霊能者」の中には、「あなたの前世はこれこれこういう人で」と滔々と述べる人がいますが、正確には「これこれこういう人だったりもする」(「も」は色んな意味での複数)が正確な表現だろうと思います。

幾度か死にそうになったことがありますが、その自分なりの体験では、青い空に雲がいくつか浮かんでおり、魂はその中のどれかに吸い込まれていました。
かたち(形相)はどうでもよいのですが、要するに、多くの魂の中に混じり、全体がひとつになるという意味です。

脱線しましたが、「前世の記憶を持っている子ども」は特に珍しいことではなく、世界中にざらにいるようです。まだ生まれて間もないので、自意識の垣根が低いということでしょう。
概ね思春期になる頃には、皆一様に「総て忘れてしまう」とのこと。

集合魂の中に還ることは、「あの世(彼岸)」に行くこと。
世間一般で言う「幽霊」はあの世に行けてない魂のことを指します。

書き方がやや解説調でしたが、見え方、感じ方はその人によって異なるようです。
でも、死ねば何が真実かはすぐに分かります。