日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第436夜 お葬式

夢の話 第436夜 お葬式

気が付くと、オレは椅子に座っていた。
横に10列、縦に15列くらいのパイプ椅子が並んでおり、オレはその最後尾の右端の席に座っている。
 前の方には祭壇が見える。
「誰かのお葬式なんだな」
 中央に写真が飾ってあるが、後ろのほうなので、オレの目では分からない。
 高校生くらいの女の子が歩み出て、弔辞を読み始める。
「お父さん。私はお父さんと一緒に何かをした記憶がありません。お父さんは私のことをどこにも連れて行ってくれませんでした。動物園にも、ハイキングにも1度も連れて行って貰ったことがありません。」
 ああ。この父親はきっと「仕事馬鹿」だったんだな。
「お父さんはいつも工場で働いていました。就業時間が終わってもそのまま工場に残り何かをやっていました。だから、平日にお父さんの顔を見られるのは朝ごはんの時だけでした」
 昔はそんな父親ばかりだったよな。高度成長期あたりは、景気が良くて、幾らでも仕事があったし、「労働者の権利」なんかにも疎かった。だからそれこそ朝早くから夜中までひたすら働いた。
「でも、お父さんは残業だけをしていた訳ではありませんでした。最近になりお母さんに聞かされたのですが、お父さんは新しい工具の開発をしていたのです」

 ここで、どういう訳か、オレの頭にその父親の姿が浮かんで来る。
 この父親は工員で、金型を作る工場で働いていた。ところが、プレスの機械に不具合があり、時々、工員が腕を巻き込まれて、その多くが指を何本か失ってしまう事故が起きた。
 現場で働いている父親は、それが機械のストッパーに欠陥があるのだと見ぬき、上役に申し出た。
 ところが、この会社には、機械全部を入れ直す余裕はない。
 そこでこの父親は、新しく防護機能の付いた工具を作っていたのだ。これを使うと、万が一、機械のストッパーが外れても、手が挟まれることは無くなる。
 大学の学者が訪問した訪問した時に、この父親はその新案の工具を見せた。
 現場で実際に体を使っている者の工夫だから、研究者の考えるものとはかなり違っている。
 そこで、その教授は、すぐにそれを実用新案として特許申請してくれたのだ。

「お父さん。お父さんの作ったレンチは、今は殆どの工場で使っているそうです。知らない人が私たちに頭を下げて、『どうも有り難う』と言ってくれます。お父さんは、工場で働く人と、その家族を助けてくれたのです」
 次第次第に、女の子の弔辞が涙声になって行く。
 
 この家族が住んでいるのは、木造のアパートだ。 
 2部屋と台所の古ぼけた一室だった。
 オレが朝目覚め、水道の水をコップに汲んでいると、配水口が詰まっていた。
 「ああ。これは女房のヤツだな」
  前の晩に、女房がここで髪を切ったのだ。
 「まったく。後始末の悪いヤツだ」
 少し腹を立てるが、すぐに思い直した。
 女房は散髪代を節約して、娘の進学費用を貯めようとしているのだった。
 「色々、気が付かないところもあるが、オレが苦労を掛けているのに、愚痴のひとつも言わない。オレには出来た女房だよな」

 え?何でオレがそんなことを知っている。この話は、向こうの祭壇に遺影を飾られている男のことじゃないか。
 オレは顔を上げて、もう一度前の方を見る。
 女の子の読む弔辞は、終りに差し掛かっていた。
 「父さん。今、父さんの作ったレンチには、お父さんの名前が付いています。遊びに連れて行って貰った記憶は無いけれど。私はそのレンチを見る度に、お父さんのことを思い出します。お父さんは立派な人です。大好きだよ。お父さん」

 ここでオレは総てのことを思い出した。
 「何と言うことだ。あれはオレの娘じゃないか」
 そうなると、あの祭壇の主は・・・。
 オレだった。
 オレは大阪の万博への研修旅行から帰ると、その日の夜、家で倒れたのだった。
 オレが死んだのは、昭和45年の9月6日。銀座に歩行者天国が出来た年のことだ。

 ここで覚醒。

 目が覚めてから、その情景を思い出すと、他人事ながら泣けて来ます。ところが、夢の中で同時進行的に進んでいる時には、喜怒哀楽をさほど感じません。既に死んでおり、無難にあの世に行くことになっているからだろうと思います。
 「金井町」に住んでいたか、名字が「金井」です。
 娘はその後東京理科大学に入り、研究者になった。妻は5年後くらいに再婚して、平成の始めに亡くなった、とのこと。
 この夢を観たのが木曜の午後4時くらいで、買い物をすべく慌てて外出したら、酷い事態が待っていました。