◎梅見物の顛末
梅の花を見物するため、※※※※に行くことにしました。
※※までは二十数キロなので、せいぜい30分です。それくらいなら、退院したてでも、まあナントカ。
※※にはすぐに着いたのですが、生憎、梅林の駐車場の前の道路が工事中で、中には入れませんでした。
まあ、梅もまだ3分咲き程度のようです。
...
仕方なく、■■■に寄ることにしました。
近くを通った際に何度か入り口の看板を見ていますが、まだ一度も訪れたことがありません。
「■■■入り口」から入ると、すぐに湖がありそうな気がしましたが、そこからが案外遠くて、十キロは走ったのではないでしょうか。
着いたのは、小さな■みたいなところで、70~80メートル四方くらいしかありません。
これなら田舎の「△△の■」の方がよっぽど広いや。
ま、せっかく来たので、写真を撮影することにしました。
買ったばかりの自撮り棒を使うかどうか思案しましたが、背景がショボイのでこれは止めました。
ぱっと撮って見ると、丸い球が写っています。
「あ。反射光が入ったか」
真ん中に日輪が入っているのですが、他にも煙みたいなのが写っています。
じゃあ、逆方向に向けてもう一枚。
「ありゃ。また入ってら」
太陽光とは交差しない角度にいるのに、反射光とはおかしいぞ。
嫌な感じ。また煙玉か?
自然現象と変わらない見た目なのに、実はばりばりのオーブだったりすることがありますね。
玉の後ろには、筋みたいなのも見えるし。
「じゃあ、もう一枚だな」
ああ、ここで止めとけば良かった。
その次の1枚は、とても人には見せられない。
玉ではなく「あたま」になってます。
これを見た人は、「この世には説明できないものがある」ことを信じるだろうけど、見た途端に具合の悪くなる人が結構います。そして、そうなると、そういう人は必ず「アンタのせいだ」とののしりますね。
すぐに画像を捨てることにしました。
写真自体には悪影響はありませんが、面白がって持ち続けるのはあまり良いことではありません。
テレビの心霊番組など、まだ幼稚園ですよ。
(まあ、大半が偽物ですけど。)
このまま家に帰るわけにはいかんので、高麗神社に向かいました(216日目)。
入り口で鳥居を撮影すると、やはりうっすらと丸い球が写り込んでます。
「少し黄色ってことは、さっきの奴だな」
一緒について来ているわけですか。
神殿の前で手を合わせ、これまでの感謝の言葉を述べました。
「それと、コイツを置いて行きますので、よろしく」
中庭で、石割桜を撮影すると、ようやく煙玉が消えていました。
これで家に帰れます。
最近、煙玉とか人影が写り込む時の「しくみ」が分かりました。
私の持病が心臓で、極端な不整脈があります。ダダダッと乱れ打つのではなく、間延びするタイプの不整脈です。
酷い時には、十秒以上も脈が取れないことがあります。
写真が変な風になるのは、そういう時、すなわち生命力が落ちている時に撮影したもののようです。
今も退院間もなくの時期で、まだ回復途上の段階です。
信じるか信じないかはその人次第です。
私は「人には見せられないもの」まで見ていますので、「この世には理解不能のものが存在する」と確信しています。
他方、一切信じない人も多いですね。
その方が幸せに生きられますので、それでOKです。
見聞きしたり、頻繁に写真に写る人は、処理するのが大変ですから。
こちらの感覚はけして「能力」ではなく、コントロールは出来ません。出来ると思っている人もいますが、それこそ妄想です。「能力者」など、聞いてあきれます。
今回は自然現象に近く、まったく念の圧力を感じないところから始まったので、少し驚きました。
普通は声が聞こえたり念波みたいなものを感じるものなので、何も無いのは珍しいです。
(迷惑が掛からないよう一部は伏せ字です。ごく一部の人以外には、何ら影響はありませんが、余計な話が広がるのは避けたいところですので。)