◎今日も大吉 (219)
退院後3週が経過し、どうやら戦える体勢になって来ました。
もしかして、半年前や一年前より今の方が良いかもしれません。
(もちろん、一定の範囲内で「きまり」を守っていた場合の話です。)
そうなると、この後のことが頭を過ります。
「この調子なら、侍の話にも耐えられるかもしれん」
侍の話は体力と気力を使うので、かなりの余力がないと先に進めません。
この数年はそれが無かったので、先い進むことが出来ませんでした。
九戸戦の後日談を書かねばならないのですが、長らく棚上げ状態です。
まあ、今の状態なら、短中編を繋ぐかたちで、登場人物それぞれの「その後」を描いて行けばなんとかなりそうです。
九戸戦に関する確からしい史実は、「かつて戦争があったこと」と「実際に城跡に焼けた痕が残っており、人骨が発見されたこと」だけです。
その他は、総て80年くらい後になり、大名が各々の家史を記す際に書かれたものが最も古い資料となるのです。
このため、盛岡藩と津軽藩の記述はかなり違いますし、市町村でも真逆のことが書かれています。
この辺を足で歩いて調べないと、「史実」の核心には近づけません。
九戸戦の核心的史実とは「実は本当はよく分かっていない」というものです。
そこは、地方の小さな戦であって、京とはかなり違います。
敗者の声が届くことは無く、生き残った者に都合の良い話に仕立てられているのです。
「これこれにこう書いてある」とはよく聞きますが、その書かれたものの多くが捏造ですよ。
まあ、小説の目的は史実を検証することではなく、心情を汲み取るところにあります。
「確からしさ」がどこにあるかを考えすぎると、歴史でもドラマでもなくなってしまいます。
「その後」については、当事者の幾人か、すなわち、羽柴秀次や伊達政宗、八戸政栄や北信愛など、九戸戦に関わった者の行く末をそれぞれの視線で描くことにしました。
このうち、私が最も好きなのは八戸薩摩政栄です。
政栄は「まさよし」と読まれることが多いのですが、南部藩史の大家である森嘉兵衛が自著にはっきりと「まさひで」とルビを記しています。南部藩史では、新渡戸仙岳と森嘉兵衛の二人ほど原典にあたっている者はいませんので、私はこれを採用しています。
さて、八戸薩摩は、自らの敵である七戸家国の室として娘を入れています。
薩摩の後継は弾正直栄となりますが、これは養子で、子は女子のみです。
血戦の時が来ると、七戸家国は城に室と子を残し、自らは宮野(九戸)城に向かいます。
このため、七戸城は空城となり、南部方が攻めて来ると、すぐに降伏し開城しました。
資料的な記載はありませんが、この時、七戸城をいち早く押さえたのが薩摩です。
おそらく、本人が七戸まで行った。
薩摩はかなり若い頃から眼疾があり、ほとんど目が見えない状態でした。このため、九戸攻めには直栄を向かわせています。
八戸根城に残っていたわけですが、おそらくこの薩摩の頭にあったのは「娘と孫の命を救う」ことだったと思われます。
城を囲んだのが薩摩だったので、七戸城の塀にとっては身内同然です。このため、すぐに開城した筈です。
このことは、九戸包囲戦の直前でしたが、「戦わず帰順した」ことで、七戸家国が残した妻子と家臣は命を救われることになります。
この辺の手腕はさすが八戸薩摩です。
「眼は見えないが頭が切れる」人だったのでしょう。
これより前に遡ると、三戸南部の代が絶えた時に、重臣であった北信愛一派は、血筋的に正当で、かつ有能であった八戸薩摩ではなく、田子信直のほうを推挙しました。
表向きは薩摩が眼疾であることを上げたわけですが、薩摩では「うまく操縦出来ない」のが本音だったのでしょう。
「自らの限界を知りながら、己の出来る事を全うする」という、いかにも男らしい生きざまを薩摩はしています。
八戸薩摩は、地方の名もない地侍の一人ですが、嘘に塗れた羽柴秀吉当たりと比べると、はるかに人の心の「奥行き」を感じさせる人物です。
これは是が非でも書いとかないと。
たとえ短中編でも、当方が書かないと、たぶん誰も書かないです。
ひとまず、資料調べのため、八戸に行くことにしました。
(資料が「無い」と言う事を確認するための調べです。)
小旅行になりますが、それを実現するには、事前に体調を整える必要があります。
となると、少しずつでも外出をしなくてはなりません。
前置きが長くなりましたが、こういうわけで家人に付き添ってもらい、名栗の「さわらびの湯」に出掛けた次第です。
頻繁に行っていたところなので大丈夫かと思ったのですが、やはりかなり疲れますね。
前より良くなったようでも、「病み上がり」には違いありません。
帰路には、きまり通り高麗神社に参拝しました(219日目)。
最近のマイブームは「おみくじ」ですが、また大吉でした。
旅行も「計画的に行け」とのこと。
いつも感じますが、自分が今の自分なのは、自らが好んでこうしているだけではなく、誰かに「そうしろ」と言われているような気がします。
このため、(ほとんど死に体なのに)「生かされている」感じがあるのです。
それなら自分なりに幾らかでも社会貢献をしていくことで、謝意に替えたいと思います