日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ 昔、男ありき

◎ 昔、男ありき

 『九戸戦始末期』の冒頭で、主人公の五右衛門が盗賊と出会い、これを倒す場面があります。盗賊は「赤平虎一(赤虎)」という名で、三戸から岩泉までを荒らす「毘沙門党」の首領でした。
 赤虎はあっさり殺されてしまうのですが、その後、この男に関連する人物が次々登場します。
 とりわけ、本作の中心キャラの1人である「紅蜘蛛お蓮」は、「赤虎に拾われた戦災孤児で、義妹として育てられた」と設定しました。
 こうすれば、紅蜘蛛が五右衛門を付け狙うようになる動機が出来ます。
 「恨み」には、そこに至るまでの「思い入れ」が必要なので、子供のころのエピソードとか、赤虎の人となりがわかるようなものを書き足し始めました。

 赤虎は幼い頃に侍に親を殺され、生きるために盗賊になった。
 このため、襲うのは悪徳商人か侍で、戦利品は貧しい人々に分かち与える。
 と言っても、「義賊」などではさらさらなく、半分は自分が貰う、等々。

 十歳のお蓮は、餓死寸前の妹の命を救うために、道を行く赤虎の前に両手を広げて立ちはだかります。
 「お前の女になってやる。だからこのわたしを買うてくれ」
 戦災孤児に食べ物を与える者など誰もいません。「くれ」と言っても無理なら、「やる」と言って勝負しよう。これがお蓮の考えたことでした。
 この時、赤虎は笑ってこう言いました。
 「お前はがりがりのやせっぽちだ。側女はおろか端女の役にもたたんだろう。だから、お前を俺の妹にしてやろう」
 赤虎はお蓮の度胸をいたく気に入り、傍らに置くことを即断したのです。
 これが「盗賊の赤虎」シリーズが生まれた瞬間でした。

 赤虎の物語は、総て定型文で始まります。
 「今は昔、」「時は※※」、あるいは「昔、ひとりの男がいた」を変化させたかたちです。
 すなわち、物語は「今昔物語」や「宇治拾遺物語」をなぞらえる形式としてあります。
 内容も、原典に倣い、ほぼ総てが怪異譚です。

 赤虎は「峡谷の怪物」や「島の女」で鬼と戦い、「無情の雨」では怖谷に赴き地獄の蓋を閉じます。その怖谷での因縁がもとで、厨川五右衛門に命を捧げることになります(「雪の降る朝に」)。また、若い頃には人肉を食らう大猿と戦ったりもしました(「獄門峠」:長すぎて未公表)。
 また、死んだ後も、赤虎は脇役として「怖谷奇譚」や「不来方情夜」に顔を出しています。
 これで終わるかと思ったら、「不来方情夜」が橋渡しの作品となり、次は紅蜘蛛シリーズに展開しそうな雰囲気になってきました。
 今考えているのが、次の展開です。

 紅蜘蛛がささいなことがきっかけで侍に捕らえられる。
 紅蜘蛛は「悪人中の悪人」なので、尋問を経ずに殺されようとする。
 首を切られる寸前に、城主がそれを止める。紅蜘蛛の美貌に興味を持ったためだ。
 紅蜘蛛は寝所に入れられるが、そこで城主が化け物に取って代わられていることを知る。(子どもを食う場面を目撃する。)
 城主が席を外した隙に、侍の中の1人が紅蜘蛛を見に来る。
 侍と紅蜘蛛は協力して、化け物と戦う。
 気が付いたら、城の半分が化け物一味に取って代わられていた。さて・・・。

 今のところ、「城」は鳥谷ヶ崎(花巻)、城主は北左衛門佐を予定しています。
 ここだと都合が良いのは、この城には日戸佐助がいることです。 (「不来方情夜」で、半分は仲間になっています。)

 実際に書き始めたら、内容は変わると思いますが、題名については『紅蜘蛛地獄変』のような感じになると思います。
 さて、こうやって書いて行くうちに、当初は気付かなかったのですが、予想外の発見がありました。
 赤虎は三人兄弟の長男で、弟に窮奇郎、熊三がいる。
 窮奇郎は偏執狂的な剣の達人で、名が示すとおり、「眠狂四郎」のイメージです。
 熊三は、頭は弱いが人の良い悪人。(あくまで悪人の範疇。)
 ふと気付くと、赤虎の人格を設計するのに使っていたのは、私の父でした。
 父は三人兄弟の長男で、五歳の時に母親を亡くしています。
 もちろん、父は盗賊ではありませんが、兄弟の人格は現実のそれをなぞらえています。
 なんと、このシリーズは父のために書いていたのでした。

 これから世間一般への露出度を高めていきますが、いずれどれかが映画にはなるだろうとは思っています。