夢の話 第543夜 天使
15日の午前3時頃に観た夢です。
夢の中の「オレ」は老人。
かなりの高齢者だが、大学に通っている。
なぜか学生で、しかも学部の1年生だ。
「オレはなぜ大学に通っているんだろう?」
少し疑問に思うが、そこは認知症なので、よく考えることが出来ない。
そういうオレにとって、難問はドイツ語だ。
自分の人生にとって、最大の失敗は語学でドイツ語を選択したことで、楽しくもなければ、役にも立たない。ビジネスチャンスにも結びつかない代物だ。
だが、一度選択してしまうと、途中で別のに変えることは出来ない仕組みだ。
「もうかれこれ30年はドイツ語の講義を聴いているよな」
クラスは孫の年の学生ばかりで、それも意欲を失わせる要因になっている。
「オレはこのトシになっても何ひとつ持ってはいない」
暗い気持ちで大学の門を出る。
すぐに地下鉄の入り口みたいな階段があり、そこを下った。
下につくと、そこは地下鉄ではなく、動く歩道だった。
「足腰が弱って来てるから、こりゃ助かる」
自分がどこに向かおうとしているのかを考えると、これはすぐに分かった。
オレはスーパーのカート運びのバイトをしており、これからその職場に向かうところだった。
このバイトは朝夕の2時間ずつしかないのだが、日中は講義があるから、オレみたいな境遇の者にはちょうど良い。
「だが、こんなオレに先はないよな」
トシがトシだし、衰える一方だ。頭だって、毎日弱って行く。
「いっそ死んでしまおうか」
そんなことを考える。
すると、後ろの方から声がする。
「何言ってんの。しっかりしなさい」
え。オレは口に出して言ってはいないのだが。
振り向くと、若い女性が立っていた。
「人はひとつ所に留まっていることは出来ないのよ。余計なことを考えず前に進みなさい」
驚いたことに、その女性の体の回りから白い光が出ている。
「ありゃ。この女は天使なのか」
女性は薄暗い歩道の中でひときわ明るく光っていた。
「この歩道の名前は羯諦と言います。あなたが止まろうと思っても、どんどん前に進みます。だから前を向いていないと転んでしまいますよ。さあ前を向いて」
さすがにこの年齢だし、「羯諦」の意味は分かる。
するとこの女は天使じゃなく、天女なのかも。
その天使(女)は前に進み出ると、オレの隣に立った。
「ひとの人生で間違っていることなどないのよ。皆こうやって、必ず前に進んでいる。止まったり、後ろ向きになったりするのは気分だけで、実は前に進んでいる。それなら、進行方向を向いて前進するのが楽だし、気分がいいじゃない」
そりゃま、そうだ。地面自体が動いているんだからな。
「じゃあ、思い悩むことはないんだね」
「そう」
なんとなくほっとする。
オレは横目でその女性のことを観察する。
やはり体の回り十五センチくらいの空間が光っていた。
「天使って、本当にいたのか」
ここでオレは気が付いた。
「天使って、若い頃のオレの女房にそっくりなんだな」
ここで覚醒。
近所のスーパーでカート運びをしている高齢の方がいます。
当方がぼおっとして、買い物袋をカートに残したまま家に戻ってしまい、慌ててスーパーに戻ったら、その人がしっかり管理していてくれました。
それが縁で、顔を合わせた時には挨拶を交わす関係になっています。
ついつい普段の習性で観察してしまいますが、その男性は年齢が75歳くらいで、前はデスクワークをしていた印象があります。
家人によると、カートを元の位置に戻すバイトは、朝夕の繁忙期数時間ずつの仕事で、かなり安価らしい。調べたわけではないのですが、5掛け6掛け程度以下。
しかし、その数時間の仕事は結構大変で、その男性も店内を忙しく行ったり来たりしています。
常々、「扱いは軽いけれど、こういう方はこのスーパーの生命線のひとつ」だと思っていました。
カートが空になっていたり、レジ前に長蛇の列が出来ていたりすれば、わんわんと文句が来るし、それを理由に「もうここには来ない」と短絡的に思う客がいますね。ま、当方など典型的にそういうタイプです。
某若手女優は「照明を仕事にする人の気持ちが分からない」と言っていたが、そういう仕事をする人がきっちり務めを果たさないと、映画もテレビも成立しません。それと同じ。
この夢の設定では、自身も高齢者でカート運びを仕事にしているのですが、これはその男性が「楽しそうに働いている」印象が心に残っていたのだろうと思います。
つくづく、「ひとは心で生きている」と痛感します。
「天使が妻だった」てな部分を読めば、家人は「それみろ」と威張ることでしょうが、そこはそれ、上手い具合に家人は日本語の長文が読めません。
悪口だと読めなくとも数秒で分かりますけどね(大笑)。
しかし、いい加減、ドイツ語の単位で苦労する夢からは解放されたいと思います。