日刊早坂ノボル新聞

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『死の国』ノート 6)羯諦の意味

『死の国』ノート 6)羯諦の意味

■般若心経の教え
(問い)「魂の循環の説明で、ふと思いついたことがあります、般若心経では色即是空、空即是色と説きます。形ある見える物の背後には、必ず形を作っている本質が存在する。しかし、その本質は見えない。霊界では数え切れぬほどの人生の喜怒哀楽が飲み込まれており要素として持っているが、しかし、個というかたちは存在しない。それと少し似ています」
(神谷)「よく気が付かれましたね。そのお経の文言は大半が解説で、ものの考え方を示唆する内容です。考えるための糸口を最初に記しておき、本当に大切なことを最後に伝えています。真言の部分がそれですが、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦がそれに当たります」
(問い)「一般には『往ける者よ、往ける者よ、彼岸の地へ行こう』のように訳されていますね」
(神谷)「正直、何のことか分からない人が多いでしょう。実は法を説くお坊さんたちもよく分かっていません。何故なら、魂の循環の仕組みを理解しないと、このことは分からないのです。霊界では性質、成分はあるがかたちが無い。かつて人間であった魂の総てがあるが、しかし個は存在しない世界です。これが分化してかたちを持ち、一個の人間になるわけですが、いずれその人間も死を迎え、霊界に戻る。そのサイクルの中で、ひとつ所に滞ることなく前に進んで行けと言っているのです。こだわりを持ち、同じところに留まると魂は幽霊となり、悪霊となってしまいます。そういうことの無いように、魂の循環を受け入れよと教えているのです」
(問い)「難しいことではないのですね」
(神谷)「そうです。目の前の人生をよく生き、穏やかに死を迎えることを考えればよいのです。自身や他者が共に苦痛を減らし、安楽が得られるように努力すれば、魂の平穏が得られます。難行苦行は必要ありません。何百回の写経も必要ありません。魂の循環を受け入れれば良いだけです」
(問い)「写経も要らない。修行も要らないというのは良いですね。なるほど、意味が分からないものを何百回も書いたところで、真理に近付くわけではありません」
(神谷)「僧侶の中には、肉体を極限までに痛めつけて、生命の真理に近付こうとする者がいます。健康な者は、肉体と自我、それぞれの殻で魂が覆われていますので、その外にある幽界のことを感じ取ることが出来ない。殻の力を弱めれば、自ずから霊的存在に近くなるので、苦行を行うわけですが、実は本来的にはそれも必要ありません。霊界は永遠に存在し続けますが、魂は生まれたり消滅したりします。修行はそのことを理解出来ない人が体感するために行うものなのです」
(問い)「しかし、荒行を否定するわけではないのですね」
(神谷)「その人なりに、真理に近付くために行うものであれば、もちろん構いません。火の熱さは手を近づけてみないと分かりません。しかし、燃え盛る炎の中に飛び込むのは愚かな行為です。その行為からは何ひとつ得られません。そういうことを分かって行う分には、その人なりの理解の仕方だと解釈出来ます」

■守護霊はいない
(問い)「ここで、霊の話に戻ります。日常生活の中で『霊』と呼ぶものは、自我・個我を持つ魂であり幽霊のことを指します。これは分かりやすい。でも、我々は幽霊だけでなく、少し意味合いの違う霊的存在を認識しています。守護霊や指導霊と呼ばれるものです。幽霊・悪霊は邪な念に縛られた魂のことを指しますが、これとは反対に生者を守る霊もまた認識してきたわけです。こちらはどのようなものなのですか」
(神谷)「もとは人であった者が死んだ後、格の高い霊になる。そういう霊が生きている人を守るために支援する。守護霊や指導霊をそういうものと解釈するなら、それは存在しません」
(問い)「悪霊はいても善霊はいない、と」
(神谷)「霊界には社会はありません。個霊はなく、皆が一体で、かつて一人だったことのある魂は成分として存在しますが、単独で存在し続けることは無いのです。亡くなったお祖父さんが姿を現した、などという話がよくありますが、死んで間もなくの間ならそういうことが起きるかもしれませんが、霊界に入った後はこの世の者には関わりません。海に還った者がわざわざ一粒の雨に姿を変えて現れるなどと考えるのは、むしろナンセンスな話です。霊界から何かメッセージを現世に送るとすれば、心持ちを音叉の振動のように伝えるだけです。雨粒の落下の仕方を、海が気にすることはありません。海の立場からすれば、ただ雨が流れ着くのを待っていて、それを受け入れれば良いだけの話です」
(問い)「そりゃ、生きている者にとっては厳しい話ですね。孤立無援ということですか」
(神谷)「私が申し上げているのは、現世の個人に当たるような霊界での個霊がないと言っているのです。そういうかたちは存在しないのです。自我・個我が無くなっているのですから、生身の人間のような存在では有り得ない」
(問い)「守護霊に守って貰ったり、指導霊に指導を受けることはない」
(神谷)「かたちとして存在しないものと関わることは出来ません。それらは総てこの世の人の願望が生み出したイメージです。『天は自ら援くる者を援く』という言葉がありますが、天、もしくは神は、その時その時の事情を鑑みて手を差し伸べてくれるような人間的な存在ではないのです」
(問い)「今日は初めて神という言葉を伺いました。では次回はそれについて解説をお願いします」