日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎姫神山でご供養

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

姫神山でご供養
 母の四十九日が間近なので、郷里に来ています。
 29日は、祖父と母、友人M氏のご供養のために、姫神山から岩洞湖、渋民を回ることにしました。
 先に父のところに寄り、「姫神山に行って来る」と告げると、「一本杉くらいまでは行って来ると良いんでないか」と言われました。
 でも、そこは霊場だし、現在私は喪中なので、登山口から先には行けません。横を通って、登山口を見上げるだけですね。
 日曜なので、登山客が沢山来ていました。

 祖父は農家の「おんずかす」で、狭い土地を宛がわれて、家から出されたのです。
 小さい家を建て、祖母を娶り、3人の子が出来たところで、その祖母が他界してしまった。
 父たち兄弟は5歳3歳2歳で、目を離すことが出来ません。
 戦前の一時期で、働きに出ることもままならない。
 仕方なく、祖父は姫神山で炭を焼いたそう。それなら、子どもたちを連れて行ける。
 そこから十年近くは、祖父にとって本当に苦しい日々だったようです。戦争が終わると、次第に良くなった。

 毎年5月頃に姫神山に来て、祖父が炭を焼いた場所を探そうと思うのですが、さすがに80年くらい前のことなので、今はまったく分かりません。
 また、うっかり麓の林に分け入ると、熊が出ます。
 春秋の登山シーズンでは、いずれも食べ物が豊富なので出て来ませんが、熊はすぐ近くにいます。
 地元の人間はそのことを知っているので半ビビりなのですが、遠くから来る登山客はそんなことは考えず楽しんでいます。「知らぬが仏」とはこのことだ。
 ちなみに、私は「どこでも擦るとすぐ点くマッチ」と爆竹を常に携帯しています。火薬の匂いは、どんな動物でも嫌いますので。

 姫神山は表から見ると、さほど高くない、登るのが簡単な山なのですが、裏は違います。
 道は険しいし、足場もありません。
 ま、表と裏が違うのは人間と同じ。
 結婚前は優しくておしとやかなのに、結婚後はとても同一人物とは思えないほど目が吊り上ってしまいます。どこの家でも覚えがある事実ですねえ。あるいは、イケメンのダンナが他の女性にもやたら優しくしていた、とか。
 この山に3千回登った人も凄いが、裏から一度でも上った人は本当に凄い。
 熊を掻い潜り、岩を踏み越え、落ちたら誰も助けに来ないといった条件を乗り越える必要があります。

 途中でようやく「あの沢」を見つけました。
 昔、父と叔父、兄と私と誰かで岩洞で釣りをしたのですが、数尾しか釣れませんでした。
 ぶうたれながら待っているわけですが、なかなか叔父が戻って来ないので、ズボンを捲って沢に入り湖まで下ったのです。すると、河口に何千尾、何万尾の雑魚がいました。
 ちょうど5月で、餌を求めたのか、酸素不足で苦しかったのかは分かりませんが、手掴みで取れるくらいの大量のハヤかウグイ、もしくはワカサギでした。
 案外「道の近くで、沢を下ったところ」、ということだけ記憶していたのですが、姫神山を北側から越えて、最初の水芭蕉が見えたところでした。水芭蕉が無い時期には目印がありません。
 シャアシャアと流れる沢を下ると、50辰らいで湖に落ちますが、そこです。
 装備は腰までのゴム長と手網でOKですね。
 雑魚はいずれも10センチ前後と小ぶりですが、天麩羅には向いています。 
 流れが黒く見えるくらい魚だらけだったので、百尾獲るくらいは大丈夫でしょう。
 ただし、それだけの量を見てしまうと、魚を獲っても食いたくなくなります。
 ま、何十年も前のことですので念のため。

 フキノトウをひと掴み採って、家で湯がいて食べようと思っていたのに、山のように顔を出しているのを見たら、まったくその気が無くなりました。それと同じ。
 岩洞湖に車を停め、そこで「フキノトウ味噌」のお握りを食べました。
 苦いかと思ったのですが、まったく苦味無し。これも滅多に食べられないです。

 湖を見ながら、お焼香をして帰りました。火事を出さないように、線香は携帯灰皿の中に入れ、消えるまで見ましたので、念のため。
 登山愛好家のM氏も姫神山のことが好きだったな。

 ヤマザクラはほとんど終わっていました。見たのは山の上の方で数回だけですね。
 八重桜としだれ桜は盛んに咲いています。

 訪れる人も無かりし 奥山に 凛として咲く 山桜見ゆ
                     姫神山人

 深い山奥に分け入ったら、山の中腹に1本だけ山桜の木があり、盛んに花を咲かせていた。「こんなところで」とも思いつつ、その美しさに見とれてしまいます。
 この日の出来事を写しただけ。
 もしくは、「どういう境遇であっても、己の使命を全うするのが美しいぞ」というメッセージです。
 素人歌人ながら、幾らかましになって来ました。

 ところで、異性を好きになってしまうと、まるで枯れ山に1本だけ桜が咲いているかのように見えてしまいます。その人の周囲だけパッと明るく見える。
 そういう眺め方を「そうだなあ」と思うのは専ら若い頃で、今は「周りの枯れ枝に見られるババアが可哀そう」と思います(笑)。
 しかし、ババアが枯れ枝なら、自分たちは「ハゲ山」。
 ぴったりの組み合わせですねえ。
 (「ババア」は差別ではなく愛情ですので念のため。説明するのは無粋ですが、今は言葉の裏の心情を読み取れない人がやたら多いです。)