日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

岩手の伝説(1) 旧玉山村馬場の「申す坂」

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◎「申す坂」
 岩手に滞在中は、連日の降雪で、ほとんど外出が出来ませんでした。
 仕方なく、図書館に行き、資料調べをしたのです。
 それに飽きると、岩手の伝説や昔話を調べたのですが、面白いものを見つけました。

 「申す坂」(『姫神物語』より)
 馬場の熊野山神社の坂道を「申す坂」と呼ぶ。
 ここには、目をきらきらと光らせる魔物がいて、人々に恐れられた。
 ある時、弓の名人がその光り物に矢を射掛けたが、光り物は構わず飛び回り、しまいには射た矢を投げ返して来た、と言う。

 この馬場という地は、奥州道中から姫神山に向かう西の入り口です。
 ここには私の生家があり、私の部屋からは熊野山がよく見えました。
 百メートルくらい離れたところにある家の2階でしたので、すぐ近くの家よりも上のほうが見えたと思います。
 子どもの頃は「熊野山」が何かは分からず、皆が「クマドサン」と呼んでいました。

 この伝説を目にして、私は思わず膝を叩きました。
 「ああ。あれはコイツだったか」
 昔、自室の窓から熊野山を眺めている時に、光が上っていくのを見たことがあるのです。
 同時に、「申す坂」の謎解きも出来ました。

 姫神山は、東北地方有数の修験道の聖地で、中世から修験者が多数修行していました。
 山の麓には何百人も集まっていた時期があるようです。
 馬場はその山に向かう入り口なのですが、ここの熊野山の後ろでも修験者が修行をしていた模様です。
 向かい側にこの集落の墓地があるのですが、熊野山側の小山の背後からは「かわらけ」(陶器)の破片が多数出ました。縄文・弥生時代のものではなく、中世のものです。
 さて、この山の坂がなぜ「申す坂」になったのか。
 おそらく、修験者が言上を唱えながらこの坂を上ったのです。
 夜中や早朝にもその行は行われるのですが、頭に燭台を被り左右に紙燭を点けたのでしょう。(映画の『八つ墓村』のあれです。)
 これを遠くから見ると、光が二つあることから、まるで目のように見える。
 ふたつの目が真言を唱えながら坂を上っているのなら、それを修験者とは知らぬ人なら、まさに怪物に見えただろうと思います。