日刊早坂ノボル新聞

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◎岩手の伝説(2) 芦名橋下の「小豆とぎ地蔵」

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◎岩手の伝説(2) 芦名橋下の「小豆とぎ地蔵」
 これも私の生家の近く、すなわち旧玉山村の馬場にあります。

 この「馬場」は奥州道を盛岡から北へ五里半ほどのところにあります。
 元々の地名は「馬場街」でした。
 馬場街はこの辺一帯を占める馬場村の元村でしたが、古く中世の初めから馬継所が置かれていたようです。
 馬継所を指す言葉がすなわち「馬場」ですので、いつの間にかこの呼び名がそのまま地名になったのです。
 この地は、奥州道から姫神山に向かう西の入り口でしたので、ひとまずは交通の拠点でもあったわけです。

 この集落の南の外れに、芦名橋があります。
 ほんの十辰曚匹涼擦ざ兇如下には沢目川が流れています。
 その橋の袂に、小さな地蔵堂があります。 
 この地蔵堂の由来は、文政・天保の飢饉の頃に遡ります。
 その言い伝えはこんな内容です。

 ひとりの村人が夜中に芦名橋を渡ろうとすると、下の沢目川で「シャグ・シャグ」と豆を研ぐ音が聞こえた。
 驚いたその人は、この村の名主のところに行き、それを報告した。
 名主が村の者数人と連れ立って芦名橋を見に行くと、やはり「シャグ・シャグ」という音がした。
 「これは、小豆研ぎという妖怪に間違いない」
 そこで、その妖怪を鎮めるためにこの地蔵堂を建てた、とのこと。
 それ以後、妖怪「小豆研ぎ」は姿を消したそうです。どんとはれ。 

 この話を脚色して、『芦名橋』という作品にしたことがありますが、「いつか案内看板を立てたい」と思っているうちに、かなりの時が経過してしまいました。