日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎わんこ蕎麦の思い出

◎わんこ蕎麦の思い出
 郷里に滞在中、親戚の男の子に会いました。
 その子、と言っても30歳なので「彼」とします。彼は最近、結婚したい彼女が出来たのだが、彼女は一人っ子。彼の方も親が「婿には出せない」と言うので、結局、破談になったらしい。
 そこで余計かもしれないが助言をすることにしました。
「オメー。今どき『一人っ子だから家を継がねば』と言っていたら、一生結婚できないぞ。彼女に対する愛情を確かめたら、親なんか捨てちまえ。親よりも奥さんの方が長く一緒にいるのだから、そっちの方が大切だ。両方同時に家を出れば条件は同じだろ」
 これで、その子だけでなく、周囲に座っていた親戚が「ええっ」と引きます。

 これだけだと、ただの我侭な親戚のオヤジなので、少し話を加えることにしました。
 当方が初めて彼女を実家に連れて行った時の話です。
 20台後半の時に、当時付き合っていた彼女を親に引き合わせることにしました。
 彼女の家の方には既に行っていて、両親には会っています。
 「今度連れて行くから」と親に伝えると、親の方は「すわ結婚相手が挨拶に来るのか」と受け止めました。まあ、常識的にはそういうことです。
 とりわけ母はこまごまと気が回る人なので、「お嫁さんをもてなさねば」と思ったらしい。
 たぶん、「盛岡なんだから名物のわんこ蕎麦を食べて貰わねば」と考えたのです。
 ただし、わんこ蕎麦は一緒に食べる人がいないと面白くありません。
 そこで母は叔母二人や従妹たちに声を掛けて呼び集め、十人くらいで東屋だったか直利庵だったかに行きました。
 彼女は初めて彼氏の家に行き、かなり緊張しているのに、叔母だの姪だのが出て来た。
 さらに、いきなり腹一杯蕎麦を食べさせられ、少し困ってしまったらしい。
 この辺、当方は女心が分からないので、まったく気がつきません。

 東京に帰ると、当方は彼女に「わたし。田舎の人の人間関係は無理かもしれない」と告げられてしまいました。それから、半年くらいは付き合ったと思いますが、結局、溝が埋まらず、お別れすることになったのです。
 この時、当方は「それが結論なんだろう」と見なし、自分の口座にあった現金を全部送金して(大した金額ではないが全額)、スッパリ諦めることにしました。
 未練を残し、この先何度も思い出すのは嫌なのですが、そういう時に「金を払う」ときれいサッパリ心にけじめが付きます。手切れ金とはよく言ったもので、何かすっきりします。
 半年以上後に、その女性から手紙が来たのです。
 「あれこれ思い出している」のような内容でしたが、如何せん、その時には妻と出会っていました。
 返事は、もちろん、「もう2度と連絡しないでくれ」という言葉です。

 この時の彼女については、母も後々まで「あの子はどうしているんだろうね」と言っていました。
 女性ははっと目を引くような美人だったので、友人たちからは「オメー。やる時にはやるヤツだな」と妙な褒められ方をしました。
 結局、「逃げられた」方なので、思い出すこともほとんど無く、思い出しても懐かしさを覚えたりはしないのですが、「わんこ蕎麦」の文字を見るとドキッとします。

 最初に薬味が沢山出るのだから、小分け蕎麦にして、ゆっくり食べられるといいのになあ。25杯くらいをゆっくり食べられる品目があれば、毎回それを食べるだろうと思います。当時にそれがあれば、たぶん、そのまま結婚して、今も大学の教員のままでいただろうと思います。

 オチは「話の流れは全然違うが、とにかく、自分の気持ちを重視して、誰だろうと他のヤツの言い分に耳を傾けるな」でした。
 実際、全然違ってら。ま、勢いで押し切ってしまえば、大して矛盾は感じないものです(笑)。
 ああ、あの人はどうしているのだろ。もちろん、全然会いたくありません。
 こちらが死に掛けのジジイなら、あちらも今は十二分にババアですから。
 きれいな思い出はそのままにしとくに限ります。