日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

◎扉を叩く音 (続)
 毎年、「秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。

 これまで長い間、十月から二月頃まで、玄関をノックする音が聞こえていたのですが、今年からは別の局面に入りました。
 これまでは、音の主が「開けて、自分のことを中に入れてくれ」と言っているような気がしていたわけですが、もはや家の中に入っていますね。

 9月3日午後5時過ぎの記録。
 台所で夕食の仕度をしていると、カウンターの陰に他人の気配がある。
 息子がコンビニに行こうとしているのではないかと思い、柱の陰に向かって声を掛けた。
 「おい。コンビニに行くのなら、氷を買って来てくれないか」

 すると、息子が返事をして来た。返事が返って来た方向は予期していた場所とまったく逆だ。
 居間と息子の部屋を仕切る襖が開いていたので、声が届いたらしい。
 「俺は行かないよ」
 息子はそっちの部屋にいたのだ。

 「え。お前はそっちか。じゃあ、そこにいるのは誰だよ」

 首を伸ばして、カウンターの陰を覗くと、人影が見えた。
 半身と言うより腰から下あたり。
 着物姿で、たぶん、女性だ。
 紺色の生地に、小さな花柄みたいな模様の着いた着物を着ている。
 ほんのゼロコンマ1、2秒で消えたので、顔は見えなかったが、間違いなくそこに立っていた。

 「これは不味い事態だな」
 もしこれが、体や心の状態によって作り出された幻影なら、認知症の高齢者が死に間際に見るものと非常によく似ている。
 他人の話を聞くところでは、概ね、死の半年前から1年前くらいから、この手の幻影を見始める。
 この場合は、自分自身が作り出した幻影だから、「妄想」と言い換えても良い。

 その反面、既に幾年にも渡って、玄関のノック音は聞こえている。
 その時、私と一緒に起きていた家族は、同じ音を聞いている。
 となると、必ずしも「死の予兆」ではないのかもしれない。

 しかし、間近に「姿」を見始めたとなると、話は別だ。
 本当にそこに存在していたのか、脳が作り出した虚像なのか。
 いずれにせよ、今年は別の局面が待っていると言える。

 ちなみに、写真に人の姿が写る事が時々あるわけですが、写るタイミングはわずか0.1秒か0.2秒くらい。写ったり写らなかったりするのはそのせいだろうと思われる。
 でも、いずれにせよ、秋本番はこれから。