日刊早坂ノボル新聞

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◎明治期において地方行政府が作った鋳造貨幣

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◎明治期において地方行政府が作った鋳造貨幣
 銭種は、左が大迫開座祝鋳七福神銭、右が盛岡銅山銭で、本来は大迫外川目銭座、栗林銭座で作られた銭種ですが、これは再鋳品で、いずれも明治30年に岩手勧業場内で作られたものです(推定)。
 右側について経緯詳細が分かっており、「陶笵銭」と呼ばれています(または「二期銭」)。これと左側の地金と製法が同じなので、同時期の作であることは疑いないところです。
 いずれも正規の母銭より作成しており、かつ公的機関が作ったものなので、きちんと評価してよいと思います。

 これまでは、半ば「まがい物」扱いだったのですが、それも経緯を知らないからですね。
 この辺、収集界では、ほぼ「デタラメ」に近い風評が流布されています。
 これも「現地に行き、一次資料を検める」ことをすれば、一発で解決する性質の話です。

 ちなみに、銭座のものであれば、左が百万、右が80万くらいから。
 「陶笵銭」としては左が23から25万、右が17から20万ですが、きちんと情報が正されれば、もう少し評価が上がると思います。
 何せ、明治期の地方行政府が作った鋳造貨は、あくまで試験作成だったとはいえ、この「陶笵銭」に限られます。