日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎結論はひとつ

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◎結論はひとつ
 このひと月、デロデロと「あの世」に関わる出来事が続いた。
 そのせいで、かなりパニクッたが、結局は「生きている者にも、既に死んでいる者にも、何かしらためになることを残そう」ということに落ち着く。
 ま、私の場合は「真実を伝える」ことだろうと思う。
 
 私は「夢を記憶したまま目覚める」のと、「前世の記憶を幾つか憶えている」のが、自分の人格形成に大きな影響を与えていると思う。
 繰り返し思い出すのは、かつて一揆の首謀者だったことと、修験者だった時のことだ。
 たぶん、一揆の際にかなり多くの人の首を切るので、次は罪滅ぼしの意味で、神や仏に仕えるのだろう。

 女性で、祈祷師だった時のことも頻繁に思い出すのだが、3千人くらいの信者を従えて修行をしていたこともある。
 (最後は弟子に殺されたのではないかと思うが、そこははっきりしない。)
 最近は、自撮り画像のすぐ後ろに女性の顔が写るのだが、その時と関係している。場合によっては、私自身かもしれん。
 ひとりの存在が、そのまま別の人格に生まれ替わるわけではないからだ。
 死んだら、たぶん、亡者の類を取りまとめて、あの世に連れて行くことになると思う。それが、私が交わしたという「約束」の具体的な中身なのだろう。

 死ぬ前に正しい心の準備をしておかないと、死んでからが悲惨だ。
 画像に写る人影の大半は何かを叫んでいる。
 やはり、「助けて」みたいなことだ。
 何かしら準備が出来るのも生きているうちの話で、死んでからは自身の妄執が足枷となり、長い間苦しむことになる。
 それも丁寧に対話をすることで、いくらかは執着心を解くことが出来ると思う。
 この先どれほどの時間を貰えるのかは分からないが(たぶん、多くは無い)、腹を据えて行こうと思う。

追記)画像を拡大しました。
 最初に目に付いたのが、男女3人ですが、窓の桟を挟んだ男女はひと組になっている模様。
 なぜ一緒にいるのかは分かりません。
 右の頭は女ですが、胴体は別の男のものです。すなわち、胴体の方は首なし。
 余程の因縁がないとこういう風にはなりません。

 なお、こういう画像は、前に立ってカメラを取り出した時に、既に違和感を覚えます。
 遠景で詳細が分からなくとも、「必ず顔を出している」ことは分かります。
 画像を拡大する前に覚えるザワザワ感の方が強いようです。

 拡大し詳細を見ようとすると、逆にはっきりしなくなるのですが、その理由は、自然に存在する物や光を借りて表わそうとするから、のようです。