日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病院にて(2)「悪縁」はソコソコ取れる

◎病院にて(2)「悪縁」はソコソコ取れる
 夕食が終わった後、居間でつらつらと考えていたのです。
 「あの女性の状況の中で救えるのはどの部分だろ」
 老病死は本来「業」のようなものだから、立ち入らないほうがよい。
 心に関わる部分は、気の持ちようを変えることで、自らが改善できる。
 「だが、年中、転んで怪我をしているのは不注意だけではないかもしれん」
 「悪縁」が関係しているケースは滅多に無いが、無いわけじゃない。
 過去1年近く、必ずどこかを骨折し、ギプスを嵌める生活だったが、切れ目無くそれが続くのは少しおかしい。
 「いくらか悪縁を取ることなら難しくなさそう」
 私のようにスポンジみたいに「吸収してしまう」者がしかるべき箇所に触れれば、悪縁がこっちに移って来そうです。「しかるべき箇所」は煙玉みたいに薄らぼんやりとくすんでいるので、それと分かります。煙玉と違うのは「黒い」という点です。
 あとはそれをどこか扉の近くに持って行き、そこで離せば終了。
 だが、リスクがかなりあり、仲介者が悪縁を抱えてしまうこともありそうです。
 「やはり関わらない方が無難だろうな」

 すると、ほとんど同時に階段の方で「ガタガタガタ」と大きな音が響きました。
 十キロくらいの荷物を落としたような音です。
 「何か落ちたから、ちょっと見て来いよ」
 家人に見に行かせると、階段に置いていた家人の荷物が転がり落ちていたとのこと。
 「まるで幽霊が騒いだみたいだね」
 ま、常識的には、日常的に小さい地震が起きているから、少しずつそれが動いて、何時の間にかバランスが崩れたと見なすのが普通です。
 反対側からの意見は、ひとつ2つならその理屈もありだが、荷物が全部落ちるのはおかしい。
 
 これは「地獄があるかどうか」「神がいるかどうか」の論争に似ています。
 有名な論争なので途中をはしょりますが、リスクを回避する最も簡潔で効率的な考え方は、ひとまず「地獄はある」「神はいる」ことを前提として振舞うと、しくじる可能性が減ります。
 「とりあえず、今のが何らかのメッセージだと考えると、内容はどういうことだろ」
 ここで考えられうるメッセージは2通りです。
 「助けられることは助けろ」
 「手を出してはならない」
 この女性の左の肩口に触れると、悪縁が私のほうに移るので、「ある程度」改善されると思います。そこが黒く見えている。
 私は脾臓と胆嚢の筋膜腫に長年苦しんでいたのですが、ある時点を境に自然消滅に向かい、今では完治しています。
 それに近いことが起きると思うのですが、その先こっちに来たままになるケースもありそうです。
 ちょっと判断がつきません。