日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎贈り物

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◎贈り物
 「科学とは何か」ということの意味をひと言で表現すると、「物ごとは規則に従う」という哲学的思考だということになります。
 この場合の「規則」とは、多元一次方程式のこと。
 柔らかく言うと、この規則に則った説明の仕方は2通りで、「あるものごとは、いくつかの要素で構成される」(発見法)、「いくつかの要因によって、ひとつの結果が生まれる」(検証法)のいずれかです。
 森羅万象を把握するのに、このレトリックを適用しようというのが「科学」だというわけです。

 昨年末に、たまたまあるテレビ番組を目にしたら、面白い場面を目にしました。
 超常現象を対象とする内容ですが、肯定派と否定派に分かれて感想を言い合っています。
 (ここは「議論」ではなく、「感想を言い合う」でした。いずれも主観的な言明です。)

 超常現象を否定することで有名な某大学のオオツキ教授が、「そんなものは無いと言ったら無い!」と叫ぶと、超常現象肯定派の人が「あんたの話こそ全然科学的ではない」と言いました。
 これを見て、私は大笑い。
 まったくその通りで、「科学」を振りかざす人は、実は科学が何たるかを考えずに言っていることがよくあります。
 そのことが「一定の規則に従っているかどうか」がひとつの物差しなのですが、要素・要因が「よく分からない」ことは頻繁にあります。そういう状況の方が多いといってよい。
 そういう時には、「まだよく分からない」とみなすのが、実は「科学的」な思考法です。
 その時のオオツキ教授の話は「そういうことは有り得無いから無い」という流れですので、確かに科学的ではない。
 元々の肯定派・否定派のイメージとスタンスが逆さまですので、面白いと思った次第です。

 年頭にあたり、「死後の存在は無い」と「信じる」人にこの画像をプレゼントします。
 これは「説明のつかない」典型的な現象だろうと思います。
 ただし、人によっては、多少の影響があります。ただし、外見が気持ち悪くとも、自分とかかわりの無い存在である限り、重い悪影響は生じません。
 ここまでは肯定派。

 敏感な人は、幾度か夢に観たりする程度で、それ以上の影響はありません。
 世間の霊感師や霊能者の言うのは想像や妄想で、画像から因果など生じません。
 画像はただの画像に過ぎないのです。
 ここは否定派。

 今のところ、これは「よく分からない」「説明のつかない」現象とみなすのが、より正しく「科学的」な判断になります。
 最初に撮影した時とは、大きさが変わっています。かたちが変わるというのも、「説明のつかない」ところです。
 「たまたまそう見えた」とは言えぬような視線の圧力を覚えます。

 今年は、真実をなるべくそのまま伝えていく方針とするつもりです。