日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ご供養の仕方が分かる(370)

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◎ご供養の仕方が分かる(370)
 どうにも体が重くて仕方が無いので、諸々のものを「落とす」方向で処理することにしました。
 簡単に言うと、「ご供養」になります。
 これまで分かっていることは次の通り。
1)外鳥居や山門の周囲には、沢山の霊がいる。大半が「そこまでは来たが、その先どうすれば良いか分からずに屯している」者たちだ。
2)きちんと毎日お勤めをしている神社や寺社では、念の力で人為的に拓かれた「扉」があり、そこに向かって、霊が通る道が出来ている。いわゆる通り道だ。
3)当方は、霊に検知され、存在を気付かれる。

 そうなると、当方が神社や寺社の外で「行き場のない霊」を拾って来て、「通り道」に導けば、霊界に送ることが出来る。一人の発する光よりも、沢山の人の念によって出来た「扉」の方が霊の吸収力が強いからだ。
 すなわち、当方が鳥居や山門の外から、順を追って参拝・参詣することで、霊を導くことが出来る。これで「ご供養」ができる

 思い立ったら、すぐにやるべきなので、直ちに出発しました。
 もはや夕方の時刻ですが、時間は関係有りません。
 駐車場に車を停めて、境内の外に出て、最初に拝礼をします。
 これは「両掌を広げて、上に見せる」というもの。日光の下では、エネルギーを拝領する意味で、夜には逆に放出する意味があります。さらに、手を広げて見せるのは、「武具を持っていない」ことを示すことですので、敬意を表すことにも繋がります。

 「俺の考えが正しいなら、たぶん、何かしら『しるし』が出るはずだ」
 すなわち、煙玉や光が出るのではないか。
 いつも通りのやり方で、神殿をひと回りして、何枚か写真を撮りました。
 すぐに開いて見たのですが、さしたる変化はありませんでした。
 「ま、そうだろうな。意図すると、逆に遠ざけることになるもの」
 そこで、ひとまず帰ることにしました。

 階段を下りると、どこからか猫のトラがやってきました。
 この時にはもはや真っ暗で、顔かたちも見えないのに、30丹幣綫茲ら当方を見つけて歩み寄って来ます。
 「4年前なら走り寄って来たのに、お前も年老いたね」
 トラはアジの炙り焼きを半分食べたのですが、あまり口に合わなかった模様。
 カツオが大好きで、そいつなら幾らでも食べようとするのですが。
 「お前。もしかして、贅沢になってないか」
 長居をすると、当方の場合は命に係わるので、おやつが一段落したところで、帰宅しました。

 帰ってから、トラの画像を開くと、ボコボコと煙玉が出ていました。
 当方の周りにも出ているのですが、そのせいなのか、当方は存在を消されてしまっています。
 次第に想定したことがピタッとその通りになって行きます。
 果たしてこれが良いことなのか、「終わり」を示すものなのかは、今はまだ分かりません。

 とりあえず、明日から原稿の執筆を再開することにしました。昨夜、ミサイルが飛んで来る夢を観たのですが、「動け」という暗示(または警告)だと思います。
 これからは「執念」のみというわけですが、今は少しだけ体が軽くなってます。