日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎穏やかな一日(390)

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◎穏やかな一日(390)
 病院の帰りに、どうしてもトラの消息を確かめたくなり、高麗神社に向かいました。
 正直、キツいのですが、そこはそれ、女房のためには働かないが、猫のためなら苦しくとも頑張ります。

 晴天の土曜で、参拝客が切れ目無く続きます。
 前回のと同じ場所で撮影したのですが、異常はなし。
 今回も同じものが見えますし、あの少女のように見えたシルエットは、目の錯覚だったのでしょう。

 各所を通じ、さしたる異変は見受けられませんでした。
 「よかった。ようやく前に進められる」

 ずっとこの日が来るのを待っていました。
 これから全開で、溜りに溜まった雑事をこなします。
 11月くらいまでは大丈夫だと思いますので、その間に出来うる限りのことをやっとく必要があります。
 もちろん、今後も時々確認し、「死神」に貼り付かれないように注意します。

 トラが消えたのと、私の状況が好転し始めた時期が同じです。
 「まさか、俺の身代わりになったわけじゃあないだろうな」
 自分にとって大切な者が、自分のために犠牲になることほど耐えられないことはありません。
 ま、どちらがが先でも大差はありません。

 そのうち、ひょこっと顔を見せてはくれないものでしょうか。
 トラに会うために出かけたのは、これまで2百回を超えます。
 一緒に暮らす家人を除くと、もはや最高記録です。
 
 画像には煙ひとつありません。
 こんなことは随分長い間なかったような気がします。

 出口で一句。季語はあるけれど、川柳ですねえ。

  初鰹 人さまよりも 猫が先

 いつもお刺身用のカツオを炙り、こっそり懐に忍ばせて行くのですが、結局持ち帰ることに。
 もちろん、家人に買って帰ったことは一度もありません。

 追記)
 実質的な意味で、この日が完全に「危機を回避した」節目になりました。
 これまで私の観ていたものが、「死期の迫った者が観る妄想」なのか、また「お迎え・死神」なのか、そういう解釈など本人にはどうでもよいことです。
 重要なのは「死期が現実に目の前に来ており、それをどう回避するか」ということでした。
 錯覚があり妄想があり、説明のつかないものがあったのですが、以後は総てが沈静化していくだろうと思います。とりあえず、どれくらいかは分かりませんが時間を貰いました。
 この後の「あの世」探索は、のんびりやれます。