日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎幽界探訪 御堂観音

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

◎幽界探訪 御堂観音
 岩手を訪れた際には、必ず御堂観音に行きます。
 ゆはずの泉の水を汲み、それでコーヒーを淹れて飲むためです。

 2年前、国道を通り掛かった際に、筋膜腫の痛みに苦しんでいたのですが、頭の中で「ここに参拝して行くと治る」という声が聞こえたので、その通りにしたのです。
 その後、実際に治りました。
 脾臓、胆嚢の筋膜腫は、今ではいずれも完治しています。
 二十年も苦しんだのに、治ってみれば簡単であっけない。

 もちろん、こういうのは「行けば治る」という性質のものではないようで、人を選びます。
 私や叔母は、ここの泉の水を煮沸して飲んだら、初回に下痢をしました。夜中に6、7度トイレに駆け込むような強烈なヤツです。
 おそらく体が反応して、毒性を放出するのだろうと思います。
 飲んでも何とも無い人の方が多いのですが、そういう人には変化がありません。

 人間は欲が深いので、今ではつくづく「あの時、心臓と腎臓も治してくれと祈願すれば良かった」と思います(苦笑)。

 ところで、前にも書いたと思いますが、ここにはあの世への「扉」があります。日によって、大きかったり小さかったりするのですが、球状の光(目には見えない)があるのです。
 これが大きく開いている時には、神社一帯が霧に覆われてしまいます。この霧も目には見えませんが、画像には残ります。

 今回はあまり大きくはありませんでしたが、扉が見えていました。
 様々な経験を経て、今ではソコソコ「出して見せる」ことが可能になっていますので、早速、撮影してみました。
 やはり、きちんと出ますね。
 少し下から、扉の方向を撮影した画像には、白煙が出ています。
 レンズに曇りが出ると同じような画像が撮れますが、そういう場合は場所を選ばず、周囲の樹木や建物もかすんでしまいます。ところが、空中のごく一部だけで周囲には異常が無いので、おそらく「幽界の霧」だろうと思います。

 赤外線撮影をしてみると、白蛇がのたくったような跡が残っていました。
 目視する時と赤外線撮影をした画像とは、いつも少し違うものが写ります。
 昔から「白蛇」に特別な意味を持たせてきたのは、すなわちこういうことかと納得するところもありますね。

 色んなことがあったので、大概のことにほとんど動じなくなって来ました。
 叔母に会った折に、「この冬は、着物を着た女の幽霊に付きまとわれて困った」ことを報告しました。
 幽霊に寄られると、常に「見張られている」感じがするので、今度は「薄のそよぐのを見ても」幽霊に見えるようになってしまいます。もちろん、多くは錯覚ですが、本物・偽物が入り乱れるので、煩わしくて堪りません。
 今回はたまたま、「ご神刀」を手掛かりに、幽霊を遠ざける事が出来たのですが、死霊祓いの方法として、「刀を枕元に置く」というものがあるそうです。
 そうなると、あながち「当てずっぽう」でも無かったということになります。

 叔母が「祈祷して貰った方が良かったかも」と言うので、「世間の祈祷師や霊能者は、明らかに俺よりもレベルが低いです。高校生が幼稚園児にものを頼むのはおかしいでしょ」と答えました。
 叔母は「では自分が祈祷師になりなさい」。
 もちろん、お断りです。
 他人のツケを払って(祓って)あげられるほど、私に残された時間は多くありません。

 まずは『鬼灯の城』を完結させ、『鳥谷ヶ崎情夜』をまとめないと。
 それで、盗賊の赤虎シリーズを終われるので、書籍として刊行できます。たぶん、存命中にそこまで行きつけるかどうか、というところだろうと思います。

 ちなみに、画像の人影は「気のせい」の範囲ですので、念のため。
 きちんと実体化していないものは、画像上は「気のせい」という解釈でよいと思います。
 元々、あやふやなものですが、もちろん、その場にいた当事者の見解とは違います。

 追記)中央のごくおぼろげな女性の顔は「誰かに似ている」と思ったのですが、前にここで撮ったのと同じひとですね。もう少し留まっていれば、鮮明になったと思いますが、それが目的でここを訪れたわけではありません。画像を追加しておきます。