日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎光と煙(473)

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1月17日撮影

◎光と煙(473)

 年始は神社が混雑するので、少し参拝の間が空いた。

 前の週にも二度ほど神社の前を通り掛かったのだが、駐車場が満杯だったので入るのを止めている。

 さすがに三週目で、さらに平日なら駐車場にも入れるようになっている。

 

 今夜は雪になるようなので、神社に来る途中でスタンドに寄り、タイヤを交換して来た

 さすがにどんよりと曇っており、もはや「薄暗い」というほどだ。

 参道では、この先の身の処し方について考えた。

 昨年辺りは、時々、「幽霊や化け物など、得体の知れぬ相手に掴まっている」写真が撮れたのだが、結局、その後、さしたる異変は起きなかった。

 おそらく、私の周りにびゅうびゅうと煙玉か光玉が出ているので、それを目指して寄って来るのだろうと思う。しかし、だからと言って何をするわけではない。

 要するに、私のことを「仲間」だと見なしている可能性が高いようだ。

 ま、心停止を経験しているし、今も体調的には、半分以上、「棺桶に足を突っ込んでいる」状態が続いている。半ば以上はすでに仲間だ。

 それなら、神殿で祈願することはひとつだ。

 「この後は、自分が皆さんの仲間だと思って行動する。幽界の住人の側に立ち、良かれと思えることをする。皆さんが私の目で物を見て、私の耳で聞いても構いません」

 要するに、この世とあの世の「橋渡し」をしようということだ。

 それなら、しばらくの間は、私を生かして置かねばならない。

 その時間を使い、原稿を書いたり、あの世についてもっと掘り下げることが出来る。

 そういうことを祈願した。

 

 たまたまその時、周囲が急に明るくなった。

 カメラに電源を入れると、周囲に白い煙がぱあっと出ていた。

 「あ。幽界に繋がるところだな」

 カメラが旧式なので、電源を入れてから撮影が出来るようになるまで十秒くらいかかる。

 この「霧」を是非とも撮影しておこうと思ったのだが、撮影が可能になった時には、霧はほとんど消え去った後だった。残念。

 

 現界(世)と幽界が繋がる時には、概ね「きらめき(シャイニング)」と「霧」の二つが現れる。

 おそらく太陽フレアと関係しているのではないかと勝手に思う。

 赤外線や、電磁波、放射線に変化を及ぼすのは、それ以外に考えられないからだ。

 前に駐車場で異変が出た時があったが、それに先んじて上空がぱあっと明るくなっていた。

 眩しいくらいの明るさだが、肉眼ではほとんど違いが分からないところを見ると、赤外線など不可視域の違いではないか。なお紫外線については、まだ確かめたことはない。

 また、電磁波が変化すると、頭が重くなったり、心臓に影響が出たりする。

 身体と同様に、「心霊現象は電磁波が原因だ」と主張する者もいる。

 さらに、放射線量では、毎時0.30マイクロシーベルトを超えると、十分くらいで喉元が痛くなる。人体に影響があるのだから、他の影響もあるかもしれない、等々。

 もちろん、それぞれ人によって程度が違うと思う。

 いずれにせよ、人体への影響と、幽界に起きる事象は、必ずしも無縁ではないと思う。

 

 画面では見分け難いと思うが、この日の画像には、参拝客の女性に背後から前に手を回して、女性を掴まえているものがある。

 拡大図より、遠目からの方がむしろ判別が容易なのだが、ひと目で判別出来るのは、「前にも見ているから」だ。

 半年くらい前、同じ神殿前で、私自身が「全身が白く、おそらく上半身裸の女」に掴まえられている画像を撮影したことがあり、それと状況がよく似ている。

 なお、この女性に「何か悪いことが起きるのではないか」などという心配は要らない。

 幽霊が寄り付くのは、「自分と似たものを持つ」か、「助けて欲しい」「助けてくれる」と見なす相手だけだ。

 相手が普通の精神状態であれば、幽霊はそのまま付いて来たりはしないものだ。

 ま、「彼が奥さんと別れて、私と結婚してくれますように」みたいなことを神仏に願ったりしていれば、やはり話は別になる。

 しかし、これを見せたのは、専ら私へのメッセージだと思う。

 その直前に「仲間だと思って行動する」と祈願しているから、それへの返答ということではないか。

 ほかの人には判別が難しいが、私には分かるというケースでは、主にこういう理由であることが多い。(もちろん、もしくは単なる「気のせい」の場合だってある、と付け加えて置く。)

 

 昨年とは違い、今は身の回りでざわざわと「説明のつかない現象」が起きる頻度が少なくなった。「他の説明がつく」か「気のせい」で済ませられる範囲なら、日々を穏やかに過ごすことが出来る。幽界の住人が騒がなくなって来たのも、もはや「こちらが受け入れた」ことが伝わったということなのか。

 

 しかし、幽霊の気持ちを癒し、代弁するということは、おそらく現界(世)の者に負のメッセージを伝える局面も来るのではないかと思う。

 死者に敬意を払わぬ者、または死者を軽んじたり、もて遊ぶ者には、熾烈な「祟り」を渡すことになるのだろう。

ちなみに、幽界から来る「祟り」は、映画や小説に描かれるそれとはまったく違う。

 幽霊は専ら心に働きかけるのだが、生きている間の変化はそれほどでもない。本番の「祟り」は死後にやって来て、かつその「祟り」に終わりはない。

 そんなことにならないためにも、「よく生きること」、「どのように生き、死ぬべきかを十分に考えること」が必要になって来る。

 この世のモラルとあの世の善悪は理屈がかなり違うから、ひと筋縄ではいかない。