日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎産直にて

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◎産直にて
 家の近くの産直に行き、駐車場に車を停めた瞬間に、「誰かに見られている」感覚があります。
 その都度、撮影しますが、正体が分かりませんでした。

 「こちらが意識するから、出られないのだな」

 「写真を撮ろう」「写そう」「確かめよう」と考えると、通常は写りません。
 (ま、最近はいつでもどこでも「煙」や「声」が出始めますが。)

 何も考えないようにして、さりげなく撮影すると、少しそれっぽいのが出ました。
 しかし、まだ「声」が聞こえて来ないので、「見間違い」や「思い込み」の領域だろうと思います。

 一番上の顔はフェイクですね。何も響きません。
 下の少女は、これから出始めると思います。少女のようですが、亡くなったのは80歳近くでしょう。
 心の中は少女のままです。
 中央右が「私を見ている」本人かと思うのですが、まだ何とも言えません。

 そのうち、表に出て来るつもりかもしれません。
 ごく普通に病気や老いで亡くなっていると思いますが、普通の人生を送った人でも、幽界に留まるケースは多々あります。
 生きているうちに、死後の心構えをして置く必要があるようです。

 「見えないからいない」
 「聞こえないからいない」
 なんて考えたら大間違いで、ただ見て・聞くべき側の感度が悪いせいで、「見えない」「聞こえない」だけです。
 下の少女のように、周囲に煙が出ている時は、「目の錯覚」や「気のせい」でないことがあります。

 帰宅してすぐに、ご供養をしています。
 もちろん、総てが「気のせい」という可能性もありますが、ご供養をして置けば、現実にいてもいなくともマイナスに働きません。

 昔、大学の先輩と議論したことがあります。
 「死んだ後に地獄があるかどうか」については、「ある」「ない」の二通りの判断が出来ます。
 では、生きているうちは、どちらを基準にして振舞えばよいか。
 
 「地獄がない」なら、罰せられることも無いから「やりたい放題」で暮らせばよい。
 「地獄がある」なら、閻魔大王の審判で地獄に落とされないように、正しく振舞うべき。
 さてどちらが正しいか。
 この答は必ず、「地獄があると思って、正しく暮らす」のが正解です。
 「地獄がないので放埓に暮らす」と、苦しい目に遭わずに済むのは、その通り、「地獄がない」場合だけです。
 「地獄があるから悪事をしない」と、実際に地獄があってもなくとも、苦しい目に遭わずに済みます。
 要するに、「地獄があることを想定して正しく生きれば、死後苦しまずに済む可能性が2倍に広がる」ことになります。
 実際にあるかどうかは関係なく、単純に計算上の問題です。

 急いで書いたので、かなりはしょってあります。誤変換が多いかもしれません。

 追記)割と鮮明なのが出て来たので、画像を追加しました。
 しかし、全体としては、まだ「気のせい」の範囲です。本番は次あたり。

追記2)さらに追加しました。