日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎再び八幡さまへ

◎再び八幡さまへ

 この日は家人の所用で外出したが、少し時間が空いたので、再び八幡さまに参拝することにした。「既に何も出なくなっている」ことを確認するためだ。

 生憎、この日も曇り空で日光を浴びることが出来ない。

 天照は生きとし生けるもの総ての味方なのだが。

 

 前回と同じ構図で撮影したが、女の姿は見えなかった。

 これは前回の画像と比較すれば、分かりよいと思う。

 同じ構図で見え方が違うので、「前回のは気のせいではなかった」と再確認出来る。

 今も影響はあるわけだが、さしたる悪意を持つ者ではないから、問題は無かろうと思う。

 節度を守り近寄り過ぎぬのであれば、ご供養を心掛けようと思う。

 

 逆に、程々の位置にいて貰い、ここぞという時に「誰か」に差し向けられるなら、すごく重宝すると思う。この世には懲らしめたくなる者・懲らしめるべき者が沢山いる。

 そんなことを考えたりもするから、やはり自分は悪縁側の者だと思う。

 因果応報を知らしめ、報いを与える側だ。

 ま、嘘をつかず欺瞞を蒔かず、日々を正しく暮らせば、障りが降って来ることはない。

 

 さて、わざわざ夜中に告知をして来た者を、今度はこちらが追い詰める番だ。 

 程なく神無月が来る。

 

追記)あともう少し修練を積めば、「あの世の者」と自由自在に関われるのではないかと思う。

 ま、傲慢な考え方は禁物で、常に謙虚に向き合う必要があるのは言うまでもない。

 やはり、「これがこうなっている」と見たものを、「実際に画像で出して見せられる」なら、個人の感覚(霊感)に留まらぬ客観的事実に近づける。

 死後にも一定期間、自我(自意識)が存続するのは、もはや疑いないと思われる。

 もちろん、何事も実証が基本ではある。

 あの世を語る者は多いが、具体的に「これ」と出して見せられる者はいない。

 

追記2)寄り付かれた時に覚える感覚

 体感的には、幽霊が寄り付くと、「ほんのちょっとした違和感」を覚える。これはまさに「蜘蛛の巣」に触れた程度の体感に近い。

 あとは、蟀谷(こめかみ)のあたりがチリチリする感覚だ。これを見逃さぬこと。

 これがあった時には、「手を掛けられている状態」なので、即座に対処することを心掛ける必要がある。それだけで精神状態が安定する。

 ホラー映画のような展開にはめったにならぬので、迅速に対処すれば、すぐに晴れる。もちろんのことだが、相手を舐めてかかってはいけない。