日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎影がふたつ

影がふたつ

 次女は概ね八時くらいに帰宅する。

 遅いので、駅まで車で迎えに行くのだが、駐車場に戻ると、次女を先に家に帰す。

 当方は脚の感覚が鈍く、歩くのが遅いからだが、契約駐車場から家までは八十㍍くらいある。

 次女が前を歩く後ろをついて行くのだが、途中には道に沿って街灯が点いている。

 次女が灯りの下に入ると、当たり前だが、影がひとつ出来る。

 住宅地なので、電線に沿ってひとつずつしか灯りが無く、照明が交差することはない。

 

 次女の後ろから、「影がひとつ」の地点に入ったところで、さりげなく後ろを見ると、普段はやはり影はひとつだ。

 昨夜も、同じように次女の後ろを歩いたが、何となく違和感がある。

 頭を空にして後ろをチラ見すると、自分の影がふたつあった。

 ひとつはくっきりした黒い影で次女のと同じだが、それの隣に重なるように薄い影がある。

 

 「ああ、やっぱり」と納得し、家の前まで来たところで、影に警告した。

 「ここまでだぞ。家の中に入るのは許さないからな」

 この日はまだ良い方で、最大時には影が四つ出来た時もある。

 

 最初にこれを発見した時には、、もの凄く嫌な気持ちになった。だが、八幡神社で「女が自分の肩に頭を載せている」写真を撮った後は、「別にフツーのこと」だと思うようになった。

 一昨年に稲荷の障りを得た時に、霊が寄り憑く時の皮膚感覚みたいなものが判別できるようになったが、このために逆に敏感になった面がある。

 

 生きている人間でも、気の触れた人を見ると、相手が「理屈が分からず道理が通じない存在」だから気色悪いと思う。

 あの世の者は合理的な判断が出来ず、感情だけの存在だから、同じように気色悪い。これは恐怖心とは違い、あくまで「気色が悪い」ということだ。

 

 自分の身に起きるまでは、とても現実とは信じられぬ話で、こんな話も「イカレた者のたわごと」だと思っていた。

 だが、起きる者には現実に起きるし、死に間際になればどの人にも起きると思う。認知する・出来る期間が長いか短いかの違いしかない。

 

 他の人よりも自分の反応が強いような気がするが、やはりこれも臨死体験の影響のような気がする。

 あれ以後、どこか「常にあの世と繋がっている」部分があるようだ。

 

追記1)そして、こういう時には「不自由が多過ぎるから、もう生きていたくない」と思う。やはり、心の中に自己否定的感情を吹き込んで来る者がいるということ。

追記2昨日、病院に行くと、直前の人まではきちんと動いていたのに、当方が乗っても体重計が作動せず、動かなかった。

 五分くらい調整・リセットして、ようやく動いた。

 体温計の方は34度。三度目にようやく35.6度。

 一つひとつはただの誤作動だが、一斉に起きることはあまりなく、ここで別の要因を考える必要が生じる。

 机の時計も止まっていたが、スイッチを入れ直したら作動した。
 ちなみに、コイツは学生時代に「新幹線で駅を乗り越してしまわぬように」と買った携帯用の目覚まし時計だ。時刻はあまり正確ではなくなったが、まだ動くし実際に使っている。

 「電子機器の不具合」は障りが生じる時の兆候のひとつ。

 エアコンやテレビが点滅したい、家電が壊れるという事態が連発する。

 とりあえず、購入して三年目の洗濯機が三日前に壊れた。

 さすがに、今日はお寺と神社に行く。

 最近は「解放された」と思い、足が遠のいていたが、やはり必要なようだ。

追記3あるタレントに起きた有名な話。

 夜中に母娘で興味本位に「こっくりさん」をした。すると、その途中で家の電話が鳴った。

 出ても無言電話ですぐに切れる。

 悪戯なのか、急な用件なのかが分からず、着歴を調べると、電話を掛けたのは、自分の携帯からだった。

 携帯はテーブルの上で母娘は手を触れていない。

 この場合は「携帯電話の不具合」か「その携帯を使って誰かが掛けた」の二つにひとつ。

 不具合で「番号録から拾って電話が掛かる」のは「誰かが自分の存在を示そうとして掛ける」よりもずっと少ない。

 ちなみに、今は途絶えたがが、当家では、回線の繋がっていない電話が「チリン」となることが時々あった。