日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎逆説の棄却 (418)

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◎逆説の棄却 (418)
 やはり命が懸かっているので、可能な限り、神仏を訪れ、気配を確かめる。
 この春には、身近なところに「お迎え」らしき「女」がはっきりと存在を示したので、ご守刀で打ち払うことが出来た。しかし、先方も学習しているようで、今は2メートル以内には寄って来ない。
 今は近くに寄れば「斬られる」と分かっているのではないかと思う。

 繰り返しになるが、私はもはや「現実」と「気のせい」「妄想」、そして「それ以外(幽霊)」の区別がつかなくなっている。常に入り乱れているため、わけが分からなくなったということだ。
 画像だけならまだしも、女の声で「助けて」と呼び掛けられることもあり、その都度驚かされる。
 毎日がその連続だ。
 そこで、有効な対策を講じるために「逆説の棄却」を進めることにした。

 1)「現実」
 2)「気のせい」「妄想」
 3)心霊現象
 と、要素は3つあるのだが、この場合の「現実」とは、実際には「生きた人間」の活動を見ているのに、3)と見誤ることだ。
 それなら、見誤る要因になる人を極力排除するか、事前に確認しておけば、検討から除外出来ることになる。
 「現実にいる人ではない」ことを証明出来るのであれば、それは「私自身の心が作り出したもの」か、「この世の者ではない」ということになり、選択肢がひとつ減る。

 具体的な手順は簡単だ。
 イ)まず周囲に人がいないことを確かめるか、どのような人がいるかを確かめる。
 ロ)1秒程度内に向き直って、対象を撮影する。
 1秒程度では、急に視界に入り込むことは出来ないからである。

 そこで、いつもの神社に行き、いつも通りのやり方で撮影してみた。
 もちろん、前後の両方をほとんど同時に撮影している。

 この日は8月16日なので、皆がお寺に行く。
 このため参拝客は数えるほどしかいなかった。
 取り決め通りの手順で撮影すると、画像の異常はごく僅かで、「ついに2年ぶりに何も出なかったか」と思うほどだった。
 私は実のところ、その時を待ち望んでいる。
 何も変化のない、つまらない毎日こそが、実は幸福な日々だと思う。
 半年後も、そして1年後も「たぶん生きている」と何となく思えるのはすばらしい。
 今の私は「次の冬を越せない」どころか、今月さえ危うい状況だ。

 見慣れた景色なので、現実の配置を熟知しているが、幾らか違和感のある箇所はあるものの、この日はほとんど問題が無かった。
 こういう日が続き、穏やかに月を越したいと願う。