日刊早坂ノボル新聞

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田中先生の最終講義にて

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2月3日の土曜日、文教大学の田中滋子先生の最終講義の聴講に行ってきました。
先生には私の早大第一文学部の卒業論文修士論文の副査をしていただきました。主査の外木先生は既に亡くなり、副査の嵯峨座先生は2年前に早大を退官なされたので、私の師匠にあたる先生は、皆、退官されることになりました。学部の卒業から25年、大学院前期修了から20年以上経っていますが、さすがに時の流れを感じます。

田中先生には、卒論の口頭試問の際に、「論文はルポルタージュではない」との厳しいご指摘を受け、当時は厳しく怖いと感じたものですが、それが研究を続けるきっかけの1つになりました。
先生は当時、研究者として乗りに乗った40代で、改めて勘定してみると、現在の私よりいくつかお若い歳でした。

大学院のゼミでの指導では散々お世話になりましたが、講義を拝聴するのは実は今回が初めてで、最初の聴講が最後になってしまいました。
不調法な性格ですので、お会いするのも15年以上ぶりです。全く我ながら粗忽者です。

講義を拝聴するときには、我々の世代では「師匠には直立不動」が当たり前ですので、自然と背筋が伸びてきました。聴講しながら、ついうっかり肘を机についてしまいそうになり、時々、姿勢を改めました。
講義の内容はこれまでのご自身の研究の流れをふまえ、農山村調査と地域社会の変遷にふれるというもので、物凄く参考になりました。先生の言われることが心に響くようになってきたのは、自分が遅ればせながら、それが解るところまで上がってきたということだろうと思いますが、ここまでになんと20年以上掛かっています。
誠に「不肖の弟子」そのものです。

講義の後、司会を務められた藤森先生が何人かに指名し、質問や感想・意見を求められたのには参りました。
師匠に対し感想を述べる(=評する)など許されることではありませんので、コメントに困ってしまうからです。この辺のピリっとした感覚は今の学生はゼッタイに味わうことはないだろうと思いますので、我々世代は今の学生よりはるかに恵まれているように感じます。

その後、先生、大学院・外木ゼミの先輩の小幡さん、立松さんとご一緒し、上野へ。
末弟の私でも既に良いオヤジになっているのに、先生にご馳走になってしまいした。
先生、色々、ご指導いただき、大変有難うございました。蕎麦打ちが上手になったら、先生のご自宅まで打ちに伺おうと思います。