日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎約束を果たす

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2日後の再確認



◎約束を果たす

 火曜の午後、病院から戻ると、突然、思い出した。

 「そう言えば、俺は約束したんだっけな」

 八月に危機が来た時に、「この後はあの世の者の仲間となり、助ける」と祈願したのだった。

 

 人は生まれ落ちてから死ぬまでの記憶を逐一、詳細に持っている。

 多くを忘れてしまうが、「忘れる」のは「無くなる」ことではなく、引き出しに仕舞い、目に付かなくするだけだ。死ぬと引き出しが全部開くので、総てが晒される。

 嘘を吐いたり、他人を誹謗したりするなど悪事を働いたことは、心に負荷を掛けるので、その意識が呪縛となり、自我を解放することが容易ではなくなる。

 悪意は貯蓄と同じように溜め込まれるのだ。

 

 「では、俺自身が悪霊にならないよう、約束を果たした方がよさそうだ」

 前回、あの施設の前で、老人の顔が私の前に現われた。

恐らく、長い間、闇の中にいたのだが、私の周りの煙玉か光玉を見て、姿を現したのだろう。

 要するに「助けてくれ」「ここから出してくれ」と叫んでいたのだ。

 それなら、出してやればよいだけのことだ。

 かつて神社猫のトラが私に対してしたように、前に立ち先導すればよい。

 

 そこで、すぐにその施設に向かった。

 見ればどこだと分かる人もいるだろうが、余計な迷惑が掛からないように、名称や場所は伏せる。

 この日は休業で、かつ既に夕方になっていた。

 玄関の前で確かめると、外扉からうち扉までの距離が5メートル以上あり、前回の顔の主が「内扉の後ろに立っていた」わけではなかったことがはっきりした。

 ま、表情に生気が無かったから、見えた通りだろう。

 そこで数枚ほど写真を撮影しつつ、声に出して語り掛けた。

 「あんたはもう死んでいるんだよ。俺自身が助けることは出来ないが、導くことは出来る。いずれあんたに合ったところに連れて行くから、俺について来ればよい。でも5メートル以内に近付かないってことを守れよな」

 守らなけりゃガシガシと喰ってやる。そんな声が頭の中で響く。

 

 写真を撮影したが、今は条件が揃わないので、「何か」が写る可能性は少ない。

 声に応じて反応したことが確認出来れば、交流(交渉)が成り立ち、こちらに悪影響が生じないことと分かる。しかし、この場合は致し方ない。

 今はもうベテランになったので、しくじることは無いと思う。

 なお、慣れぬ者が同じことをやろうとすると、相手に「乗られて」しまい苦しむことになるから、やっては行けない。

 いつも書くとおり、通常は「自分には助けられないから、来ないで下さい。その代わり、ご供養をさせて頂きます」などと、間に境界線を引く。

 

 当初はここにいるのは数体だけかと思っていたのだが、改めて同じ位置に立ってみると、沢山集まっている気配があった。数多くの視線が私の方に向けられている。

 これは「駅」と同じ理屈だ。

 人が集まり正のエネルギーが集中するところには、負のエネルギ-の方も惹き付けられるということだ。

 しかし、この中で、自分の置かれた状況を理解し、抜け出られるのはごく僅かだと思う。

 死ぬと皆が一旦、幽霊になるのだが、すぐに自我を解放できる者はそんなに多くはないようだ。怨念などに縁のなさそうな「ごく普通の人」が幽霊になり、彷徨い歩いている。 

 生きている内に「死んだ後」の心の準備をして置く必要がある。