日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

◎扉を叩く音 (続)
 「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」話の続きです。
 今では季節には関係なく、玄関の中にも出入り自由になっています。

 5月23日 午後8時の記録。
 居間に家人と二人でいると、2階のドアが「バーン」と大きな音を立てて閉まった。
 家人が私を見て、「何かしら。※※(息子)は今、お風呂に入っているのに」と呟く。

 「うん。窓を開けていたかもしれんな。風でドアが閉まったんだろ」
 「そうなの」

 窓は開けていませんが、ま、こうしておくと、妻が余計な不安感を覚えません。
 ま、開けていたとしても、私の部屋のドアは外開きなので、「閉まる」のではなく「開く」が正しい動き方です。
 部屋の内側から扉を引かないと閉まらないのですが、これは風が吹き込む方向とは逆になります。

 家ではあまりこういう話をしませんが、家人は実際に「女のひと」を見てから、多少気にするようになっています。
 しかし、自宅の中の話ですので、いちいち気にしていたら、暮らしにくくなってしまいます。
 病気と同じで、完治できない場合は、ある程度、「仲良くしていく」工夫が必要だろうと思います。

 それでも、家人にせよ息子にせよ、気がついてはいるようです。
 息子は家にひとりでいるのを嫌がります。
 慣れとものの考え方ひとつで、あまり動じなくなるので、少しずつ助言して行く必要があるのかもしれません。息子は退いて(=怖れが先に立つ)いるので、まだ話が出来ませんが、少し先にということです。

 幽霊が寄り付くのは、「自分を見て欲しい」「気にかけて欲しい」「助けて欲しい」という思いからで、映画やドラマに出て来るような怨念のようなものはありません。
 その意味では、扱いを間違えなければ害は無いのですが、ある意味、野生の猛獣と同じです。

 着物の女性を刀で切ってから、しばらくすると、ふと「私はあなたのことを愛しく思っているのに」という声が聞こえました。
 私のことが気に入り、傍にいようと思ったというのです。

 ところが、どんなに好きになっても、手の届くところにいると、人の方には不都合が多く生じてしまいます。概ね具合が悪くなります。
 寄られると心身のバランスが崩れるのでしょう。
 野獣は本能で動きますが、幽霊も理性がなく心で動きますので、それとよく似ています。
 野獣と同様に、きっちりと間を隔てて置く方が、双方に問題が生じません。

 どうやら、ひとは死ぬと、必ず幽霊の段階を経て、次に進まねばならない模様です。
 そうなると、肉体の死は単なる「折り返し点」に過ぎず、「自我の生成・消滅の過程」では、まだ半分。
 現界(世)のツケは、そこで払うことになります。