日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎次第に良い状況に(432)

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◎次第に良い状況に(432)

◎次第に良い状況に(432) 

 連休で娘が帰って来たので、ご馳走をしてやるべく買い物に出た。

 帰路は道を迂回して、神社に参拝した。

 それほど遠くないので、外に出ると参拝するのが当たり前になっている。

 

 既に夕方の5時少し前で、参拝客は少ない。

 神殿前で撮影すると、やはり赤外線量が不足しているので、外の様子がほとんど写らない。

 「何もない」のが最も望ましいことだから、「環境条件が合わない」だけだとは分かっていても、何となく安心する。

 いつも「あの世」を感じながら暮しているが、解放される時があってもよい。

 ほとんど何も出ず、「黒いひと」かと思うような人影が出ただけ。

 「黒いひと」は何もせず、ただそこにいるだけだから、何の影響も無い存在だ。

 ほとんど心(感情)も残っていないのではないか。

 

 最近の傾向は、撮影直後、カメラ画面で確認した時には、はっきりと人の姿が残っているのに、帰宅してPCで開くと消えていることだ。

 私は必ずご供養してから公開するが、「あまり人前に出たくない」者も多いらしい。

 まともに鮮明な顔が出ている時もあるが、挨拶のようなものなのか。

 既に「仲間になる」と宣言しているせいか、色んな者が顔を見に来る。

 敵意も警戒心も無いようだから、いずれ了解を得て、出てもらおうと思おう。

 

   幾度でも書くが、死後の存在はあるし、何らかの物質的存在でもある。

ただ我々生者が認識し難いだけの話だ。

   これまで、「あの世」を肯定してきた人、否定してきた人の「双方にとって、かなり違う世界」であることは間違いない。