◎やはり直感は正しい
コーヒーを飲んでいる時に「視線」を感じ、家人に「何だか、どこに行っても誰かの視線を感じる。そういう時にはまず間違いなく、近くで見ている。俺の直感ほど正確なものは無いからな」と伝えた。
「だから俺の写真は撮らないでくれ。余計なものが写ると気分が壊れる」
しかし、家人は余り本気にしていなかったのか、あちこちで勝手に写真を撮影した。
帰宅してから、自分の画像をチェックしたが、しかし、何もそれらしきものは出ていない。
「ああ良かった。今日はご供養をお休みできる」
そう思って、安心し一息ついた。
その後、何気なく、家人のFBを覗くと、「ううう。やっぱり来ていた」。
玄関のガラスのところで撮られた画像に、ドレスを着た女性が写っている。
やはり見付かっていたか。
ま、こういう画像だと、よほど見慣れていないと認識できない。
これまでの例だと、見た人の1割から2割程度しかそれと認識出来ないようだ。
私はいつも見ているので、表情まで鮮明に見える。
画像から眼を遠ざけた方が、ガラスの前の「空気」を見やすくなる
若い服装だが、亡くなった時の年齢は「中年」より後ろの方だ。
子どもがひとりいた模様。
煙玉の方は割と認識しやすい。
なるほど、レンタル店の屋内駐車場で、ぶりぶり煙玉が飛ぶわけだ。
もうひとつの丸印はかなり疑わしい。たぶん「気のせい」。
ちなみに、この場所はまったく関係なく、撮影環境が合致すればどこで撮っても概ね写る。
結局、今晩もご供養をすることになった。
上手に慰められればよいのだが。