日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎河童と野武士

◎河童と野武士

 今日、病棟で新人看護師(男)が「昨日、新狭山でお見掛けしました。お声を掛けようかと思ったのですが、間違えるとアレなんで、声は掛けませんでした。息子さんとご一緒でしたよね」と声を掛けて来た。

 ちなみに、この看護師は新人の中でも「ド下手」の部類で、過去にエラく出血させられたことがある。そういう経緯もあり、ほとんど話をしない。

 たまたま、前日は息子と出掛けたばかり。

 

 「新狭山の駅で降りられて・・・」

 え。それじゃあ、俺じゃないよ。俺は滅多に電車には乗らないもの。

 「それは俺じゃないね。電車には乗らないもの」

 すると看護師は「ああ、良かった。人違いをするところでした」と答えた。

 

 ここですかさず突っ込んだ。

 「オメー。そこは絶対に声を掛けるところだよ。『何となく思ったが、違っていたようだ』では話のネタにもならん。声を掛けて『違いますよ』と言われるところから、ストーリーが生まれるんだよ」

 「ええ?そうなんですか」

 「最低、飲み屋の与太話のネタにするには、そこで『違いますよ』と言われる。そして『※※病院の患者さんではないのですか』と訊いて、『俺は病人じゃねー』と叱られる。そしてそこからもう一段何か加えて、三段落ちまで持って行く必要があるんだよ。人生を膨らませるには『面白いこと』を探すことが必要だ」

 そう思ったけど声は掛けませんでした、じゃあ、そこで終わり。全然、面白くねー。

 

 でも、いつも病院では看護師着とパジャマ姿しか見ないわけだから、外で見掛けても印象がかなり変わっている。

 実際、道で会っても、それがいつもの看護師なのかは分からないと思う。

 ひとには固定観念があるからだ。

 たぶん、俺がこの相手と道で会っても、それが看護師の時との同一人物には思えぬと思う。

 

 「せめてそこまで話を膨らませれば、相手には考えるものが生まれる」

 と、いつのまにか説教口調になっていた。

 ああ、嫌だ嫌だ。何時しか、自分が「説教ジジイ」になっているとは。

 

 ところで、最近マスクをしていることを良いことに、ひげを伸ばし始めた。ま、二週間もあれば顎ともみあげが繋がる。

 「野武士みたいな風貌になれば、くせが悪そうで良いよな」

 そう思ったのだが、しかし、完成品は「河童」だった。

 この先は分かり切っているが、髪が伸びると「落ち武者」になる。

 ラッシャーさん(木村)みたいな感じにはならんもんだ。

 

 でも、「癖の悪そうなオヤジジイ」には見えるようで、新人の男子看護師は少し緊張するらしい。

 ま、いつもグラサンをしてむっつりしている。

 髭を伸ばさなくとも、「元々、癖が悪そう」だったわけだ。

 もちろん、若手の小奇麗な看護師は除く。当たり前だ。これは動物界のルールだもの。

 

 このところ、少し具合が悪い。

 やはりハンデがあるようだが、割とこれが重い。