日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎休息はひと月

◎休息はひと月

 例年、桜の咲く頃から梅雨までの間は、普通の生活が出来る。

 頭の中で考えることは「人事」だけでOKだ。

 それ以外の季節には、「人事」と「幽事」の両方の対処が必要になる(笑えない)。

 

 よって今は割合、油断していても大丈夫なのだが、数日前に気付いてしまった。

 夜に、駅まで家人を迎えに行くために、駐車場に向かうと、灯りがすぐ後ろの街灯ひとつなのに、影が三つ出ていた。

 道路の両サイドに街灯がある場合は、もちろん、角度によって二つ出る。

 「いずれにせよ、三つは無いだろうなあ」と考えさせられた。

 前に「けして思い出したくない体験」をしたので、いつも注意して影を見ている。よって、この件についての見間違いは無い。

 

 だが、毎夜の夢見は歴然と悪くなって来た。

 息子も感度が高い方だが、やはり悪夢を観ているらしい。

 十一時頃に息子が寝たが、「ううん」「ううん」と魘されていた。

 「何かが来ていれば、それと分かるだろう」と思い、そのまま二十分くらい息子の寝姿を見ていた。

 もし立っているか隣にいれば、今の当方なら見えるのではないかと思う。

 

 ただ、そういう気配が伝わったのか、息子の寝息が静かになった。息子の悪夢は去ったらしい。

 次は当方が寝入った後だ。あるいは、もうじき、玄関の扉が叩かれる。

 もう慣れたので何とも思わぬが、コロナ下でやりくりに四苦八苦している毎日だ。心底より「邪魔するな」と思う。

 それが「怒り」に繋がり、日中にも怒りっぽくなる。

 我に返ると、「この状況の先の事態が先方の狙いだ」と気付く。

 ま、平常心、平常心。

 

 しかし、何時かはコロッとやられてしまうかもしれん。

 鳩尾の周辺が冷たくなる。

 結局、愚痴になった。

 

 追記)その後、自身が眠ったが、「息子が熱を出し、うんうん唸っている」夢を観た。なるほど、悪夢に魘されるところを見たので、それが記憶に残っていたらしい。

 やはり子どものことを案じるのが「親の心」のようだ。

 「息子がコロナに感染したかもしれん。どうやっても助けなきゃな」

 そう思って目が覚めた。