日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎母は有難きもの

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母は有難きもの

 月末だが、私の「今月越え」は、きっと来月の五日から十日だ。次第にあちこち詰まって行く。

 怒りを覚えるようになりがちなのだが、そんな時は母の絵や筆跡を眺めるようにしている。

 私の母は病気がちで、人生の半分をベッドで過ごしたようなものだが、横になっている時間が長いから、その間に心が潰されてしまわぬように、筆や色鉛筆、絵筆を握った。

 自身の精神を保つために行っていることだから、他人の評価はどうでもよい。

 集中し、自分なりに表現することで、自分自身を救った。

 これは私の状況と凄く似ている。

 私も四十歳になる時には、既に病気が始まっており、動きたくとも動けぬ日々が続いた。ま、今と違い、その頃は他人に「弱みと受け取られる」と思ったから黙っていた。

 だが、何もしない・出来ない日々は、とかく自分を責めてしまう。

 「何故こんなことに」

 これを放置すると、自我が崩壊するのはあっという間だ。

 そういう状況を脱するために、自分なりの何かを求めていたが、たまたま父が「俺の知り合いが新聞社の社長だ。そこに何か書いて助けてやれ」と私に言い付けた。

 これで最初は社会評論を書き、エッセイを書き、と始まり、それが今に続いている。

 そんな経緯を知るのは、父と当時の編集長だけだろうが、社長さんが亡くなり、編集長も三代四代替わったので、未だにその新聞に書き続ける理由を知る人はほぼいなくなった。今の編集はたぶん誰も知らない。

 

 柿の鉛筆描きは、亡くなる五か月前のものだ。

 一時期、母は病院から自宅に戻っていたが、私が外出している間にさらさらっと描いた。

 小学生の頃に「母が家に居た」記憶はわずかだが、その後も母は病院での生活が長かったから、まさに「霜に打たれる」思いがしていたことだろう。

 息子の方は二十台三十台の「荒れた生活」のせいで体を壊したようなものだが、「丸く」もなっていないし「甘く(成熟)」もなっていない(笑)。

 でも、これは例えだけじゃなく、実際に渋柿は霜で甘くなるのだと思う。

 

 俳句の方は後段が動作だから、句としてはあまり良い句ではないのかもしれぬが、母を知る者にとっては心を打たれる句になっている。

 主人公(母)は、三月の早朝に目を覚ます。

 早朝と言っても、まだ周囲は薄暗い時間帯のことだ。

 家の外でカタコトと音がして、その音で目覚めたのだ。

 主人公は長らく入院生活を送っていたのだが、ようやく退院し、前夜は久々に自分の家で眠りについた。

 家の寝室で眠るのは久々だから、春風で外のジョウロやちり取りがカタっと音を立てる音でも目覚めてしまう。

 「ああ、私には家に戻っているのだ」

 そういう状況下での心境だ。

 

 したがって、「眼が覚める」は「思わず目が覚めてしまう」の意味だから、この表現が正しい。

 「長い病棟での生活」「退院できた嬉しさ」があり、それでいて、「風が立てる物音ではっと驚く」微妙な心持ちがよく出ていると思う。

 

 私にはこんな複雑な表現は出来ない。

 病気などに追い詰められている時には、いつも母が寄り添っていてくれる気がする。

 まこと、母は有難い。

 

 でも、今はあまりにも霜がキツくて、甘くなる前に凍り付いてしまいそうな毎日だ。

 もう少しどうにかならんのか(苦笑)。