◎古貨幣迷宮事件簿 「桃猿駒の話」 その2
行きがかり上、桃猿駒に少し触れて置く。
オーソドックスな仙台桃猿駒は、概ね掲示の品のように黒っぽい表面色をしている。
茶色その他の変化が生じるのは、他領もしくは後の時代に写されたりしたことによる。
錫味が強いので、当初の表面色は白いか黄色いかだったのだろうが、古色は黒くなる。前回の白銅銭は、机の上に置きっぱなしにして三十年経っても、白いままでいるから、地金のつくりにだいぶ違いがあるようだ。
これが明和当四銭のように妙に固い緑色、黄色だと、途端に怪しくなる。
前回も記したが、桃猿駒の意匠はすこぶる縁起の良い図柄で、時代を越えて愛されて来たことによる。要は作られ続けて来た、ということだ。
右の錫鋳は、そういう桃猿駒の事情があるので、普通は錫鋳=初期母型として珍重される筈なのに、単に「錫鋳」とのみ解釈される。
後の時代に、摸鋳品を作るべく、一旦、錫で写し取り、これを加刀集成して整え、きれいな通用銭を作る母型を作ろうとしたものかもしれぬからだ。
その点、錫には時代による「味」が出ないし、劣化もしやすいから、それが古い品なのか新しい品なのか判別が難しい。
この錫鋳は、普通品と同じ扱いだったが、当初、私も「大正の初め頃に摸鋳製作の一環の中で生じたもの」ではないかと思っていた。
百数十年もしまってあったのに、「劣化しやすい錫がこの状態のままであるわけがない」と考えたのだ。
いつ作られたのは知る由も無いが、私の考え方は全くの誤りだった。
錫が劣化するのは、いわゆる「酸化」ではない。銀であれば、割と簡単に酸化し白くなったり、硫化し薄いトーンを帯びたりするわけだが、錫はむしろ酸化し難い金属となる。
錫は低温の温度変化で「同素変態」という現象、すなわち「スズペスト」を発症する。「同素変態」は「純粋なスズが低温からの加熱によって13.2℃を超えると、ダイヤモンド立方構造を持つ脆く非金属のαスズ(灰色スズ)から銀色の延性のあるβスズ(白色スズ)に変化する」というものだ。
錫の劣化は表面い白いツブツブが出来、これがぽろぽろと崩れることが普通だから、主にこの現象によるものだと見なされる。
となると、錫を劣化させるのは、「空気」ではなく「温度変化」であることになる。
錫の劣化は単なる「空気に触れたことによる経年変化」ではないので、「百年経った錫が白く劣化していない筈は無い」という判断がそもそも誤りだということになる。
皮肉なことに、そのことはまた、錫銭は「新旧がよく分からない」という傾向を際だたせることになった。
結局、この品については「いつ作られたか分からない」という見解のままだ。かたや「仕立てれば、現実に錫種として使える」という利点?もある。
銅銭と錫銭の合わせを行ってみたが、穿と面背の内郭部分の厚さに違いはあるが、意匠そのものに相違はない。また両銭の間に母子関係はなく、さらに大型の同型銭より作られたものだということが分かる。
この辺は外見の印象とは、少し違った見解になる。
愛着を覚える銭種は何となくそのまま取り置くのだが、どんなに愛情を傾けても、人と同じようにいずれは別れの時が来る。
この銭種にもそろそろそんな時が来たようだ。