◎お友達の帰還(628)
昨夜、台所に立っていると、すぐ左に人の気配がした。
こういうのは久しぶりで、ひと月くらいの間、まったく何もなかった。
体調がイマイチでもあり、ほとんど家から出ず、横になっていたが、まったく不審事が起きない。
あれだけ起きていたのが、「何もない」となると、変な気持ちになる。落ち着かない。
朝になると、いつも鳩尾に感じる何とも言えぬ「重さ」が少し和らいでいる。
鳩尾の重さは心臓の悲鳴だが、今更もう手立てはないのでこれまで安静にしていたというわけだ。
「では、ようやく初詣に行ける」
出掛けようとすると、この日休みの家人が「一緒に行く」と言う。
ま、一人だけで出かけると、いざという時に対処出来ぬから、行動を共にすることにした。
まず当家の守り神であるお不動さまにお参りすべく、飯能の能仁寺に向かった。
本堂でお焼香をした後、お不動さまに感謝の意を伝えた。
子どもの頃から「数十万の亡者に追い駆けられる」夢を五百回は観たと思うが、何年か前に夢の中にお不動さまが現れ、保護してくれた。
私は家人と一緒にいたが、異様な姿をした亡者が葬式の幟を立てて追い掛けて来た。追い付かれそうになったところで、巨大なお不動さまが現れると、火炎が周囲に満ちたのだった。以後、亡者の夢を観なくなった。
次はいつもの神社にも参拝した。
この神社とトラがなかったら、神経が持たなかったと思う。
今もしんどいが、数十㍍を歩けぬ時期が長かった。
ここでも感謝の意を伝えた。神仏に序列は無く、いずれにも等しく敬意を表する。
神殿のガラスに映る景色に目を遣ると、久々に目視で人影を見た。
影は複数で、白い着物を着た者や、神殿に向かって手を合わせる者などが立っていた。
「おお。俺のお友達が戻って来たか」
私にとっては、こっちの方が慣れている。
「それなら、俺もすぐには死なんだろうな」
画像を開いてみたが、目視で見える時には画像にはほとんど写らない。これも従前どおりだ。
だが、人影のひとつは見える人がいるかもしれん。
ま、画像では存在感が薄くなり、「たまたま」に見えてしまいそうではある。
私は可視域が少し広いようで、いつも体の近くにぼんやりとした煙玉が見えている。
この日は左肩だ。
これがすっかり目視可能なほど鮮明になると「何らかのサイン」だから注意が必要だが、ぼんやりしている分には何も問題はない。(子どもなら、かなり鮮明でも問題はない。子どもに出るのは当たり前だ。)
たまに十個くらい出る時があるわけだが、これが見える人は少ないようだ。
ま、こういうのは、自分だけが分かればそれでよい。
自身に変化が起きているか否かの物差になればそれで良く、他の者に認識されるかどうかなどどうでもよい話になる。
ファインダを覗いている時には、複数の人影(顔)が左肩の後ろに見えていたが、画像ではそれほどでもないようだ。
あの世の方々が戻って来たのなら、早めに自身の状況を察知することが出来る。
「幽霊を感じていないと不安になる」というのは、たぶん、普通の人の感覚とはかなりズレていると思うが、私はもとより偏屈で一言居士だ(快笑)。
最近の体調不良が、昨年、腹部の煙玉が出た時を起点としており、その時には同時に左脇の下くらいに「長方形の透過箇所」が出来ていた。まるで周囲の景色を切り取って貼ったような長方形だったが、意図的にそれをする理由は私にはない。私と同じものが見え、感じ取れる人は五人くらいしかいないので、世間的に「ウケよう」などという気持ちはさらさらない。昔も今も「生き残るために」やっていることだ。
あの時の「透過」は、あの世の者に「ぐさっと刺された」状況で、その遠因がそれより一週前に「近寄ってはならぬ祠の前に立った」ことにあると思う。
この世と同じに、あの世にも「相容れぬ相手」がいるらしい。
この数か月より前の状態に戻れば、まだこの先の展望が開けるかもしれぬ。
だが、人事の処理が全面的に停止していたので、この先は別の意味で骨を折ると思う。
ま、それも生きていてこそで、この先があるならどうにかなる。